細雪《下》 谷崎潤一郎

昭和31年10月15日初版発行 平成28年7月25日改版初版発行

 

 雪子に、辰雄の姉菅野から縁談話が舞い込んだ。相手は早稲田の商科出で素封家の沢崎という男性で、薪岡より格上の家柄だった。幸子は雪子の意見も聞いた上で招きを受け入れた。もっとも相手との面識もなく縁談を進めようとしているのを知り、菅野の姉に非常識を感じたが、辰雄の立場も考えて成り行きに任せるほかなかった。菅野家の座敷で沢崎と対面すると取り立てて欠点はないように見えたが、沢崎は雪子に興味を湧かしていないらしかった。案の定、沢崎から断りの連絡があり、貞之助と幸子は不愉快だった。本家から母の二十三回忌と共に父の十七回忌も二年繰り上げて行う案内状が届いた。妙子は奥畑と縒りを戻していた。妙子は恋愛ではなく憐憫の気持ちから会っていると言い訳したが、貞之助は勘当中の奥畑との付き合いを本家が許すはずがないと考え、もし妙子が自分の妹だったら勘当すると述べた。幸子が鶴子に相談しないため、貞之助が鶴子に妙子の行状を伝えた。すると、鶴子は手紙で、奥畑の出入りを妙子に禁じさせ、雪子と妙子の二人を東京に寄越すように、妙子が応じない場合、蘆屋の家にも入れないようにとの辰雄の指示を伝えた。手紙を読んだ妙子は、一人でアパート住まいを始めた。幸子が井谷の美容院へ行くと、井谷は雪子の縁談相手に適した相手がいると言い、雪子を日本料理屋吉兆の食事会に招いた。幸子は夫を付き添わせた。相手は橋寺福三郎という四十五、六歳の東亜製薬の重役で、妻に先立たれ、十三、四歳になる娘と暮らしていた。橋寺の亡妻と友人だった丹生夫人は橋寺本人と面識がなかったが、井谷は丹生夫人が幸子の知人でもあったことから即食事会となった。橋寺は愛嬌があり風采も良くて酒も飲めた。自分の気持ちについても新しい家庭を持つことに気分が固まっていないと正直に語る橋寺に井谷と丹生夫人は執拗に結婚を勧め、貞之助は橋寺を好ましく感じた。橋寺が井谷と丹生夫人に連れられて幸子の家を訪ねてきた時の印象で幸子も好印象を持ち、貞之助も橋寺の会社に顔を出したり長文の手紙を認めたり橋寺の家を訪ねるなど、雪子との結婚に前向きになってもらおうと尽力した。貞之助が両家の顔合わせの日を決めてその日は筒がなく終了した。翌日、幸子の不在時に橋寺から夕食の誘いの電話があり、しばらく待たせた挙句に電話口に出た雪子は内気の性格がここでも出てしまい決まり文句のようにして申出を断ったため、橋寺は丹生夫人を通じてこんな因循姑息な女性は嫌いですときっぱり言って縁談を断ってきた。幸子は自らの不在を悔んだが、貞之助は雪子の奥床しさを認めてくれる男でなければ、夫になる資格はないと慰めた。幸子が縁談がダメになったことを告げても、雪子は無関心の態度で、幸子や貞之助に詫びの一言もなかった。幸子は雪子の真意を図りかね、妙子に本当の気持ちを聞いてもらおうと思い、妙子に連絡を取ろうとした。そんな折、妙子が赤痢に罹り、奥畑が妙子の面倒を見ていた。雪子は幸子に相談せずに見舞いに行き、幸子は一部始終を貞之助に伝えた。妙子は日増しに衰弱し、幸子も奥畑の家に妙子の様子を見に行き、知り合いの病院に妙子を転移させた。妙子は次第に快方に向かい、医療費を奥畑に返す相談をお春にすると、妙子には奥畑と別に神戸のバーテンダーで三好という男性がいるとか、奥畑の世話をする婆やによると、奥畑が勘当されたのは妙子の金遣いの荒さにも原因があるとのことで驚くような話を聞かされた。幸子はこれらのことを雪子に話すと、雪子は二人を結婚させるしか妙子を救う道がないと言い、妙子の退院後、寝起きだけ妙子は自分のアパートで行い別居は形の上では続けたものの、昼間は蘆屋で過ごし、幸子が注文を受けた洋服の仕立てを再開した。その後、奥畑の満州行きの話が持ち上がり、これを機に別れようとした妙子だったが、これまで経済的に奥畑を利用するだけ利用してきたのにそんな奥原と別れようとする妙子の身勝手さを雪子に責められて言い返すことができなかった。その直後、幸子と雪子は井谷に会い、美容術研究の目的で渡米予定であることを聞く。翌日、井谷が幸子を訪ね、その前に雪子に紹介したい人がいる、相手は御牧実という貴族院議員の息子で、ヨーロッパで暮らした経験もあり、建築設計家として才能もある、今は時勢柄才能を発揮できず父親の財産を食い潰すような生活をしているが、名門で、初婚であり、面倒をみるべき係累はおらず、海外の言語風俗に通じているため、雪子の縁談相手として相応しいのではないか、今回の渡米に先立ち、井谷の娘光代の勤め先の社長で御牧に家の設計を頼んだ国嶋氏が井谷のために出発を祝う酒席を催すので、そこに神戸の代表として幸子、雪子、妙子を招待し、雪子と御牧を引き合わしたいとのことだった。幸子、雪子、妙子は帝国ホテルに出向き御牧と顔合わせした。御牧は雪子の写真を見て結婚の算段を始めたようで、結婚後の住居が雪子の嫌がる東京でなければ今回の縁談こそまとまりそうだった。幸子は本家に寄り鶴子に雪子の縁談話を伝え、歌舞伎座で芝居を見た。帝国ホテルに戻り、妙子は羽織も脱がず具合が悪そうにしていたので、幸子は医師に診て貰おうとすると、妙子から三好の子を妊娠したと告げられ、驚きの余り体が激しく震えた。幸子は蘆屋に戻り貞之助に話し、貞之助は少し考えてから、妙子を有馬温泉で薪岡の姓を隠して滞在させ最後は病院で出産させて時期を見て三好に嫁がせることにし、奥畑には別れてくれと説き伏せることとした。貞之助は妙子にも三好にも話をして了解を取り付け、奥畑にも二千円の小切手を渡して全てを解決した。そんな中、貞之助と幸子は御牧との縁談を進めることを決断し、本家の了解も一応得、雪子にも意志を聞き、縁談を進めたいと返事した。京都の嵐山で両家の顔合わせが行われた。国島が媒酌人の役目を務め、貞之助は御牧稔の父子爵廣親に献酬し、光代も杯が進むうちにいつもの早口を発揮した。雪子の眼が例になく興奮に輝くの看て取った幸子は安心した。家は御牧の父親が阪神の甲子園を買い与えることになり、結納の日取りも決まった。雪子は本家と蘆屋で幸子や悦子との生活を名残惜しんだ。御牧は国嶋氏の斡旋で尼崎の郊外の東亜飛行機製作所で職を得た。桜の季節になり、幸子らは吉例の京都で慎ましやかな花見をした翌日、妙子がお産を迎えたが、難産だとの連絡がお春から入り、至急幸子と貞之助は病院に向かった。逆子の赤ん坊は泣き声を立てず、妙子は激しく泣き、幸子やお春、三好も泣いた。一週間後に退院した妙子は三好と一緒に暮らし始めた。妙子は荷物を運ぶために蘆屋の家を訪ね、きらびやかに飾られた雪子の嫁入り道具を見ながら当座の物を風呂敷に取り纏め三好のいる兵庫の家に帰った。お春にも見合いの話が入り、急にここへ来て人々の運命が定まるのを見て、感慨に沈みがちな幸子だったが、雪子の挙式のために上京する直前から腹具合が悪く、出発の当日も下痢は止まらず汽車に乗ってからもまだ続いていた。(おわり)