細雪《上》 谷崎潤一郎

昭和31年10月15日初版発行 平成28年7月25日改版初版発行

 

大阪の船場に店舗があった薪岡家の本家は大阪の上本町にあり、長女鶴子は婿養子として辰雄を迎えた。次女の幸子は計理士の貞之助を夫に迎えて分家し一人娘悦子と蘆屋の邸宅に暮らしていた。薪岡家の三女雪子は、三十になっても独身だった。本人を含め周囲の者が薪岡の名に拘り選り好みをしたせいでもあった。本人も婚期が遅くなることを気にしていなかった。四女妙子が二十の頃、奥畑啓三郎と駆け落ちしたことが雪子出奔と誤報されたのも一因だった。雪子と妙子は、本家より二女幸子が住む蘆屋の分家へと行く機会が増え、時に半月も泊まり続けることもあった。人形製作を趣味とする妙子の作品は次第に好評を集めて百貨店の陳列棚に並んだ。妙子の仕事は順調に伸び、妙子と奥畑の結婚を許してよいと考えた幸子は、その前に雪子の縁談を急ごうとした。そんな折、幸子の行きつけの美容院の井谷から、雪子の縁談相手を紹介された。瀬越というパリ留学経験のある四十一歳の男性でフランス系会社社員だった。家柄はやや劣ったが、瀬越は雪子を気に入り、井谷から返事の催促を度々受けた。オリエンタルホテルで見合いをし、薪岡家から二女幸子とその夫貞之助と雪子が出席した。瀬越は嫌味のない堅実な会社員という印象だった。瀬越は幸子の左眼の下の染みが気になったが乗り気だった。貞之助は、雪子を阪大に連れて行き異常がないこと、結婚すればシミも治るとのお墨付きを貰い、瀬越はいま一度雪子と打ち解けた話がしたいと申し込んだ。本家が瀬越家を調べてみると、瀬越の母が精神病であることが分かり縁談を断るようにと命じてきた。そのため貞之助は井谷を通じて断りの返事をした。妙子の個展が画廊を借りて三日間開催され、最終日に幸子は雪子と悦子を連れて会場を訪れた。妙子が中華料理店に皆を連れて行くと、弟子のロシア人女性カタリナ・キリレンコがいた。カタリナは妙子だけでなく幸子や貞之助とも懇意になり、幸子、貞之助、妙子を家に招待し、そこでカタリナの母、兄のキリレンコ、兄の友人ウロンスキーを紹介した。幸子の女学校時代の同窓の陣場夫人から、四十六歳の水産技師野村巳之吉を紹介された。本家では辰雄の栄転が決まり、鶴子は引っ越しの準備を始めた。鶴子の出発が二、三日後に迫った頃、父の妹富永の叔母が訪ね、雪子と妙子が分家にいると世間体が悪いので、雪子はこれを機会に一緒に生活するよう指示し、東京行きを了承した。鶴子の一家と雪子は渋谷の道玄坂に手狭な家を見つけた。雪子が発ったせいか、悦子は不眠症となり神経衰弱と診断された。櫛田医師からは脚気の治療と食事療法を勧められた。年が明け、悦子の神経衰弱は徐々に良くなった。陣場夫人から以前話をした野村巳之吉の件はどうなっているかと手紙が来た。幸子は本家に知らせて雪子を帰郷させた。見合いの直前に幸子は流産し見合いの件は延期された。見合いの当日、相手の野村は老人臭かったが、雪子を目の前にして饒舌になり山手の中華料理家に移動した。帰り際野村は家に来てほしいと執拗に求めるので、仕方なく応じると、亡くなった妻や子供の写真を飾ってある部屋まで見せる野村の無神経さに不愉快にさせられた雪子は妙子を通じて今回の縁談を断った。雪子は節句と京都の花見を済ませて東京に帰った。