昭和58年12月2日1版1刷
①生まれ
②同郷の作家
③両親
④ロシア兵捕虜
⑤思い出
⑥津軽の冬
⑦小学校
⑧女子と相撲
⑨甘い思い出
⑩子供時代の遊び
⑪石合戦
⑫弘前中学時代
⑬母の反物行商
⑭五分の善と悪
⑮慶應義塾に入学
⑯予科時代
⑰学生時代
⑱新妻のこと
⑲妻の介抱
⑳慶応を卒業
㉑湯治宿の出会い
㉒教師時代
㉓廓の二階で
㉔葛西の尻ぬぐい
㉕帰京した葛西
㉖横手に転任
㉗橇辷り
㉘職員会議
㉙男子校へ転職
㉚女学生の告白
・明治33年6月弘前生まれ。津軽地方の人達の気質はジョッパリ(剛情・頑固)に尽きる。弘前中学を卒業後、神田の予備校に通い、慶應義塾の文学部に入学。大学卒業後は弘前高等女学校の教諭になった。私が友人のために代作した「老婆」が雑誌に発表されると評判が立った。後に友人は「老婆」を自分の著作集には入れなかった。横手高等女学校に転任し、処女短編「海をみに行く」を三田文学に発表した。横手中学校に転任。処女を捧げたいという女子生徒から理由を聞くと、その秘密を胸の内に収めていれば夫の浮気をこらえていけそうだからという。相談をもちかけただけで秘密になるからそれを胸に秘めて未遂の過ちで自分を励ましなさいと言って返した。ここでお終いになっている。