秋月記 葉室麟

平成23年12月25日初版発行 平成26年12月15日13刷発行

 

裏表紙「筑前の小藩・秋月藩で、専横を極める家老・宮崎織部への不満が高まっていた。間小四郎は、志を同じくする仲間の藩士たちとともに糾弾に立ち上がり、本藩・福岡藩の援助を得てその排除に成功する。藩政の刷新に情熱を傾けようとする小四郎だったが、家老失脚の背後には福岡藩の策謀があり、いつしか仲間との絆も揺らぎ始めて、小四郎はひとり、捨て石となる決意を固めるが─。絶賛を浴びた時代小説の傑作、待望の文庫化!」

 

筑前秋月藩で、御用人、郡奉行、町奉行の住職を務め、隠然たる力を持っていた間余楽斎(59歳)が幽閉された。余楽斎の派閥に属する藩士も一斉に処分された。取り調べは本藩福岡藩から遣わされた御納戸頭杉山文左衛門が行った。余楽斎の断罪も本藩の主導により行われた。藩主を廃し家老吉田縫殿助を擁立する陰謀を企てたとして玄界島への島流しが決まったが、余楽斎は罪状を認めていなかった。しかし何ら後悔はなく安堵の思いを懐いていた。余楽斎は小四郎と名乗っていた若かりし頃のことを回想した。臆病の余り、犬に襲われた時に妹を救えなかったこと、師範の伝助から臆病者の剣を使えと教わってそれを実践し剣の腕を上げたこと、間家の養子となることが決まった後に2年の江戸遊学が決まったこと、江戸から戻り二刀流の姫野三弥と手合わせをしたこと、家老宮崎織部の指示で福岡から落痂を持ち帰る際に隠密に銃撃されて伝助が横死したこと、家老の失政を殿に訴えるのではなく本藩に訴え出ることで初めて家老を追い落とすことが出来るとの知恵を授けた姫野三弥の言うことを信じて行動した小四郎達は見事に家老やその息のかかった者たちを排斥することに成功した(政変「織部崩れ」)が、実は秋月藩を乗っ取ろうとした本藩とその為に送り込まれた三弥の思惑に乗せられたに過ぎないことが判明し臍を噛む思いをしたこと、本藩から秋月御用請持として送り込まれた沢木七郎太夫を罷免して新たに送り込まれた井出勘七は器量人ではあるものの、小四郎を福岡出訴の同志から引き離し孤立させようとしたこと、村八分にあった娘が命と引き換えに作った葛を秋月の名産にして大阪からの借財返納を12年猶予させる交渉を成功させたこと、姫野三弥の仇打ちを父姫野弾正が申し出たこと、弾正が17人の助太刀を伴ったことに小四郎の同志が立ち上がってこれに対抗して弾正を討ち取ったこと、井出勘七も罷免されて一旦は秋月藩の乗っ取りを本藩が諦めたこと、小四郎とかつての友が対立し秋月藩の窮地を救うためには小四郎が自らを悪役に追い込むしかなかったこと、自らは隠居して名を余楽斎と改めたこと、島流しになった元家老の綾部が許されて面会した時のことなどだった(ひとは美しい風景を見ると心が落ち着く。なぜなのかわかるか。山は山であることに迷わぬ。雲は雲であることを疑わぬ。ひとだけが、おのれであることを迷い、疑う。それゆえ、風景を見ると心が落ち着くのだ。間小四郎、おのれがおのれであることにためらうな、悪人と呼ばれたら、悪人であることを楽しめ。それが、お前の役目なのだ、と)。間に処分の言渡しが行われた直後、原古処の娘の猷(みち)が小次郎に面会を求めるため江戸から訪ねてきた。出立の刻限を迎えた小四郎は多年力を尽くして秋月を静謐に作り上げたことを誇りに思いながら一歩ずつ歩き出した。