2013年8月10日第1刷 2014年4月5日第2刷
裏表紙「京に暮らし、二世夜半亭として世間に認められている与謝蕪村。弟子たちに囲まれて平穏に過ごす晩年の彼に小さな変化が…。祇園の妓女に惚れてしまったのだ。蕪村の一途な想いに友人の応挙や秋成、弟子たちは驚き呆れるばかり。天明の京を舞台に繰り広げられる人間模様を淡やかに描いた傑作連作短編集。解説・内藤麻里子」
夜半亭有情
蕪村は自分の家の様子を窺う不審な男を度々見かけた。蕪村が声をかけると、薺の花をきれいな花だと呟いて去った。友人の円山応挙も見たと言って似顔絵を描く。蕪村は祇園の妓女小糸と馴染みになり老いらくの恋の虜になっていた。その男の似顔絵を女に描き直すとなんと小糸そっくり。実はかつて恋の炎を燃やした美和と小糸はそっくりだった。男は美和と蕪村との間に生まれた息子だった。蕪村は息子が生まれたことも知らず、美和の不幸も察することができなかった自分を鬼だと思った。蕪村が残した句に「身にしむや亡き妻の櫛を閨に踏む」と不思議な句がある。蕪村歿後も妻のともは生きていた。亡き妻とは誰なのか。
春しぐれ
蕪村の娘くのは仕出し料理屋柿屋の長男佐太郎の許に嫁いだが、離縁になり出戻ってくる。くのは父、弟子の月渓とともに地蔵院の夜半亭宗阿の墓参りをし、その帰り道、蕪村から佐太郎が二年前に後妻をもらい去年男の子ができたと聞かされる。柿屋でくのは辛い思いをした。下女おさきに頼まれて料理人仁助を柿屋に入れたのが失敗の下だった。仁助は賭場で多額の借金をこさえて柿屋に大迷惑をかけた。おさきがくのを羨んでのことだった。
「さみだれや大河を前に家二軒」と詠んだ蕪村だが、柿屋を怨んだのか、それとも。
隠れ鬼
大阪の蔵奉行を命じられた阿波藩士今田文左衛門は出入りの商人平野屋忠兵衛に誘われ、新町の遊郭で一夜を共にした小萩と駆け落ちしようとしたところを運悪く見つかり、藩追放の憂き目に遭った。文左衛門は妻子を伴い兵庫に身を寄せて俳諧師の道に進み出て大魯として名が売れ出したが、いつの間にか増長して再び孤立していった。小萩と偶然再会し一生懸命に生きる姿を見て、恨み憎んで生きるのではなく日々努力し命を全うしようとする姿こそが美しく愛おしんだ。ほどなく49歳で生涯を閉じたが、蕪村は大魯に手向けた一句が「泣に来て花に隠るる思ひかな」だった。
月渓の恋
蕪村の使いで宝鏡寺を訪ねた松村月渓は庭掃除をしていた娘おはるに出会う。宮大工として働いているはずの父を探しに京に出て来たおはるだったが、行き倒れて寺の世話になっていた。おはるは応挙の弟子になることを望み、絵の才能を発揮したおはるだったが、父親に遊郭に売り飛ばされて行方が知れず、二年が経過した。花魁になったおはるに再会した月渓は、応挙のパトロンの三井家の協力を得て、晴れて夫婦になったが、おはるが乗った船が難破してしまい、おはるは亡くなってしまった。この出来事で月渓は呉春と名を変えた。蕪村は読んだ水死した女を詠んだ歌「枕する春の流れやみだれ髪」はおはるのことだろうか。
雛灯り
蕪村の家に新しい女中のおもとが来た。おもとには翳りがあった。蕪村の家に建部綾足という『西山物語』で評判をとった人物が訪ねて来ると、おもとの様子がおかしくなり、後日綾足が訪れた際におもとは毒を盛った。おもとは『西山物語』の元となる源太騒動の女房だった。おもとが離縁された事情は複雑だったが、そこには別のややこしい恋話が絡まっていた。
牡丹散る
応挙の許に、高弟長沢廬雪の仲立ちで、牢人浦部新五郎が弟子入りする。新五郎には七重という美しい妻がいた。七重は亡くなった応挙の最初の妻・雪に似ていた。新五郎は妻七重とともに応挙の屋敷に通うようになり、応挙は七重に心を寄せるようになったので、あえて傍に置かないようにした。蕪村は各々の想いを「牡丹散て打ちかさなりぬ二三片」と詠った。
梅の影
お梅の下に蕪村の死の報せが入った。お梅は大阪北新地の芸妓。蕪村の高弟大魯の手ほどきをうけた蕪村門下の一人でもある。いつしか蕪村に心引かれるようになったお梅は蕪村が恋心を抱く小糸に悋気する。お梅は弔問するが、門人は焼香すら断ろうとした。月渓はお梅に焼香させてくれた。小糸は蕪村がお梅の客とならなかったことで蕪村がいかにお梅を大切に思っていたかと語る。月渓は左右向かい合う二本の大きな白梅を描いた。白梅図屏風である。蕪村が没してから十年の歳月が流れていた」。