昭和58年12月2日1版1刷
①一本の電柱
②お稲荷さん
③再婚の母
④父の旅日記
⑤二人の先生
⑥富山商業入学
⑦ストライキ未遂事件
⑧詩との出会い
⑨住友入社
⑩寧静寮の夜
⑪「五つの仕合わせ」
⑫長兄の自殺
⑬小料理屋の娘
⑭同棲
⑮秘密の新家庭
⑯阿部水兵長
⑰「長門」空襲
⑱財閥解体・住友本社解散
⑲株券引き渡しの日
⑳泉不動産総務部次長
㉑GHQの男
㉒ワナ
㉓処女作「たばこ娘」
㉔サラリーマン小説
㉕直木賞受賞
㉖流行語「三等重役」
㉗勤続二十五年十カ月
㉘結び
・明治45年4月19日富山県生まれ。父は売薬配置人で1年の半分を佐賀と長崎を回っていた。富山商業学校在学中に父が亡くなり長兄が学資を出してくれた。そのお陰で大阪の住友合資会社に就職できた。文学に関心を抱いたのは商業学校に入ってからだった。住友の総務部長は川田順氏、人事課には山口誓子氏がいられた。20年間会計課を勤めた。昭和26年に直木賞を貰い「三等重役」が大当りしたので会社を辞めようか申し出たときに菅野秀次郎会計課長は辞める必要はなく今のうちに家を建て、書く物を減らしてよりいい物を書くようにすることとアドバイスしてくれた。戦後、清算中の住友本社から林業部門と不動産部門が第二会社として設立され、不動産部門は泉不動産株式会社となった。私は総務部次長として大阪から東京へ居を移した。「三等重役」は映画化され東宝で配給されて大当りを取った。私の小説で映画化されたのは80数本になるが半数は東宝だった。東宝の監査役に昭和36年に就任したのはそういう事も関係している。