尾崎紅葉の百句 もう一つの明治俳句 高山れおな

2023年1月10日初版発行

 

表紙裏「■たとえば古郷は、初期の紅葉の苦は談林調が強く、やがて正風に進んだ(あるいは日本派風の表現に近づいた)という見通しを持っていたようだ。しかし、時系列で作品を見て行くと、とてもそのようには言えないことがわかる。談林まがいの破調句も、一見すると日本派と見分けがつかないような描写型の句も、旧派の月並調のようなひねりを利かせた句も、同時多発的に生み出しながら螺旋状に進んでいたーいささか比喩的になるが、筆者はそのようなイメージを持っている。■以前、『俳句』誌の文人俳句特集(2020年6月号)で紅葉について書いた時、先ほど挙げた〈星食ひに〉の句を引きながら、紅葉の俳句の核心を一語で表すなら「きほひ」がそれだと述べた。〈言語遊戯的なものを含めた言葉の『きほひ』が、線の太い奇想的なイメージと相乗した時、最も紅葉の句らしい魅力を発揮する〉―今もこの考えに変化はないものの、他方、さらに調べるべき点、なお考究すべきポイントが次々に出ている。」

 

16 腸の能くも腐らぬ暑かな 明治28年(1895年)

17 明日城を抜く手いたはる榾(ほた)火哉 明治28年(1895年)

50 うつくしき妻驕り居る火燵かな 明治31年(1898年)

62 星既に秋の眼を開きけり 明治32年(1899年)

81 飛梅やひいきの中を一文字 明治35年(1902年)

97 泣いて行くウエルテルに逢ふ朧かな 明治36年1903年

100 秋の水剣沈めて暮れにけり 明治36年1903年

 

巻末の「紅葉が俳句でめざしたもの」によれば、「独立独歩の子規にさえ、大原其戎という〈余が俳諧の師〉がいたのに、紅葉の俳句はさらに輪をかけた無手勝流であった」、「紅葉の俳句を今どう読むか」では「紅葉が〈胚胎していた〉志向を共感的に理解した上で、新派的と旧派的とを問わず、句それ自体として是なるもの非なるものを、現在のアクチュアリティーにおいて弁別する-本書を記すにあたって筆者が心がけたのはこのことである」としている。