昭和40年11月30日初版発行 昭和62年2月10日22刷発行
初期の詩(1895-1898)
『時禱集』(1899-1903)
『形象集』(1902-1906)
『新詩集』(1907-1908)
彼はじっと聞き入っているようだ 静けさを 遠い世界を…
私たちは歩みをとめてみるが もはやそれが聞えない
彼は星だ そして私たちには見えない
ほかの大きな星たちが彼を取り巻いている
おお 彼は一切だ ほんとうに私たちは待っているのだろうか
彼が私たちを見るのを? 彼にそんな必要があろうか?
たとえ 私たちがここで彼の足もとに身を投げだしても
彼は奥深くとどまって 獣のように緩慢だろう
なぜなら 彼の足もとへ私たちをひれ伏せさせるものは
もう何百万年も前から彼の内部でめぐっているのだから。
私たちが体験するものをもう忘れている彼
その彼の智慧は私たちには拒まれている
1906-1909年の詩
1913-1920年の詩
奇妙な言葉ではないか
奇妙な言葉ではないか 「時」をまぎらすとは!
「時」を逃さぬ これこそが問題であろうのに。
なぜなら 誰か不安におののかぬ者があろうか? 何処に持続が
万象の中の何処に最後の存在があるかと
見よ一日がおもむろに暮れてゆく それは
薄暮を経て 夜の空間へ溶けてゆく
起立が停滞となり 停滞が横臥となって
いま喜んで横たわった世界が朧ろに消えてゆくー
山々は上空に星を鏤めて眠っているー
だが あの山々のなかでも「時」はきらめていているのだ
ああ 私の心の荒野に
屋根もなく「永遠」が泊まっている
『オルフォイスへのソネット』(1923)から
1922-1926年の詩
巻末のあとがきによると、1913-1920の詩の時代は、地上の事物を眼に見えないものに変形し、内面化することが人間の使命として説かれている、いわば実存を超越して存在へ至ろうとする道を説いたものということができる、リルケが晩年にしばしば口にした「世界・内部・空間」とか「開かれた世界」とかはこの「存在」のことを言ったものに外ならない。
少々、リルケの詩は、私とは肌が合わないかもしれないと少し感じる。