一年有半 中江兆民 鶴ケ谷真一訳

帯封「余命一年半。『死とどう向き合うか』を綴った兆民、珠玉のエッセイ集!」「『一年半は悠久である』。死の直前まで天性の明るさを失わなかった“東洋のルソー”が遺した力あふれる言葉。『もし明治の日本に中江兆民が存在しなかったら、明治はどれだけ寂しい時代になっていただろう』(『訳者あとがき』より)」

裏表紙「『余命一年半』を宣告された中江兆民による、痛快かつ痛切なエッセイ集。政治・経済・社会への歯に衣着せぬ批判から、人形浄瑠璃への熱愛までを語り尽くした明治の大ベストセラーが、豊富で詳細な注を具えて蘇る! 理念と情の人・兆民の透徹したまなざしが光る『生前の遺稿』。」

 

第一

「官民、上下ともに貧しさにあえいでいる。それにもかかわらず、出される政策はいずれもその場しのぎ、人情は日々に薄くなり、内閣もまた一国の大綱を立ち上げるどころか、私利私欲をむさぼり権勢をもてあそぶのに最高・最適の階段になりはてた」

「男子たるもの、ひとたびこの地上に生を受けたなら、必ず確固たる足跡を印さなければならない」

「近年では、加藤某、井上某など、自ら哲学家と称して世人もそう認めているにしても、実際は自分の学習した西洋諸国のだれそれの論説をそっくり輸入し、いわゆる「崑崙(こんろん)に箇(か)の棗(なつめ)を呑めるもの」、哲学者と称するに値しない」

「哲学なき国民は何ごとをなすにも深みに欠け、浅薄にならざるを得ない」

「浮かれやすく軽薄というその大きな病根もまさにここにある。意気地も今期もないという大きな病根もまさにここにある。独自の哲学を持たず、政治において主義がなく、党争にも持続性がない原因もじつはここにある」「すみやかに教育を根本的に改革し、死んだ学者よりも生きた民衆を生み出さなければならないのは、こうした事情による」

「伊藤候は下手な魚釣り」「胆力と知識が足りない」、「早稲田伯は」「先の配慮に乏しい」「他の元老を論じるなど筆の汚れ」

 

第二

「権謀は事に施すべきで、人に施してはならない」

「大政治家はみな恐れ慎むところがあり、用心深くこまやかである。誠心誠意まじめだからである」

「芸者は廃止すべし」「余に娼婦ほど必要なものはない」「近ごろの文学は、露伴、紅葉、逍遥、鴎外いずれもよい」「時事論説文は、故福沢先生、福地桜痴、朝比奈碌堂、徳富蘇峰陸羯南がもっとも優れている」

「大国民と小国民の違いは国土の大小によるものではない。その気質と心意気の大小によるのである。イギリス本土はあのように小さくとも、五大陸のどこでもイギリス領のないところはない。その活動をみれば、すべて洋々たる大国の気風がうかがわれるのだが、それはすべてその心意気の雄大によっているのである。ああ、なんと意気盛んなことではないか」

 

第三

 大部分が人物評である。

 

国に哲学なければ政治家と国民も三流。それは今も昔も変わらない。それが日本という国の最大の弱点だ。教育をもって哲学の柱を立てよという兆民の主張には大いに賛同する。