1956年11月17日 第1刷発行 1994年12月5日 第35刷発行
Ⅰ 日本の観念論ー白樺派
Ⅲ 日本のプラグマティズムー生活綴り方運動
Ⅴ 日本の実存主義ー戦後の世相
まえがきに「本書は、・・日本の代表的思想流派を正面からあつかった思想入門である。現実にはたらきかけ、現実を動かした日本の代表的思想流派の仕事をちゃんと評価しなければ、日本の思想の足どりをしっかりさせることはできない」とある。
古典的名著の一つと数えられる本書(どこで数えられていたのかは忘れてしまったが)はいつか読まねばならないと思いつつ、長年積読状態が続いていた。ようやく読み終えた。
Ⅰでは「千家元磨におけるように、ただ一人の人が孤立して自己をたがやすことに熱中するとき、観念論的方法は大きな成果をあげる。作品に見られる千家は、他人に自分の意見をしいることなく、自分だけを底のほうから説得することに成功し、人生の幸福に確認をもって生涯を終った人である。人生の幸福というのは、究極においては、幸福と思えば幸福、不幸と思えば不幸という、これを信じるか信じないかにかかっているものであり、千家が自分の生涯と作品とにおいて残した幸福の確信は、今後も、私たちにとって、たしかな道しるべとなる。観念論の方法は、自分に適した言語象徴を創作し、保持することによって、自分を説得するための、また自分からエネルギーをひきだすためのかけがえのない力である」で結ばれている。
Ⅱでは「日本共産党が、どんなに検証能力を欠いてきたかは、各選挙ごとに、どんな結果からでも勝ったことを力説する論法によって明らかである。戦後の各選挙後の『アカハタ』のこの論法は、その創刊当時にすでに原型をもっている」との記載を注記していた箇所が面白い。
Ⅲでは、アメリカと日本のプラグマティズムを対比する箇所が面白い。「アメリカのプラグマティズムが、哲学書から無意味な議論をおいだすための、『読み方』の方法としてはじめに工夫されたのにたいして、この日本のプラグマティズムは、自分の生活の真実を描くための『書き方』の理論として出発したため、環境にたいする働きかけの麺が強い。」
Ⅳでは、北一輝を中心的に取り上げている。「北一輝こそは、明治の伝統的国家主義から切れた昭和の超国家主義の思想的源流であった」とする。そして、私は北一輝のことを誤解していたのを次の一文で痛切に知った。「彼のとなえたのは、公然たる国家主権論、天皇機関説であって、密教としては自明として黙認された学説であった。彼の特色は、この密教を顕教に教化された国民大衆にひろめ、顕教を偶像崇拝として駆逐せんとするところにあった」と。そして「北のくわだてたのは、密教による顕教征伐であった。上からの官僚的支配のシンボルとなった天皇を、下からの国民的統一のシンボルにたてなおすことであった。天皇と国民とが公然と協力しうる体制を彼のいう社会主義のもとに実現しなければ、国家の独立も、これ以上の発展も不可能だ、彼はそう考えた」
もっとも、「北の『日本改造法案大綱』(1919年公表)こそは、目標と行動と組織のプログラムを持つことによって、やがて右翼反動団体とはことなる超国家主義運動の聖典となり、この書物によって、軍隊を組織的暴力として利用する道が開かれるにいたった」とあり、この部分がもっとも知られている知識であろうと思う。
Ⅴでは、獅子文六、西村一雄、石川さつき、井上光晴らが登場した後に、猪狩正男、吉本隆明、村上兵衛の戦後派が登場してくる。戦後派の実存主義は「いまなお敗戦の所産であって、それ自体が生む力となるだけの能動性をつくりだしていない」とする。
海外のヤスパース、サルトルやカミュとちがって、日本の実存主義者は「実存の中に美学的に安住する型の人々が多い」とも。そして、「日本がふたたび戦前秩序の中にずりおちてしまわないために、戦後派の実存主義者たちが、今後は時代の所産としてでなく、時代をつくる力として活動することを望みたい」と締めくくられている。