2002年2月5日第1刷発行
目次
第1時限 なぜ宗教が必要なのだろうか
第2時限 すべての文明には宗教がある
第3時限 釈迦の人生と思想を考える
第4時限 大乗仏教は山から町へ下りた
第5時限 生活に生きる仏教の道徳
第6時限 討論・人生に宗教は必要か
第10時限 鎌倉は新しい仏教の時代 2 日蓮と禅
第11時限 現代の仏教はどうなっているか
第12時限 いまこそ仏教が求められている
あとがき
著者が洛南中学校の生徒相手に授業した時の講演録
・空海は真言密教を中国から持ってきてその宗派を日本で開いた。空海は教育が大事だと考えて綜芸種智院という日本で一番古い私立学校を建てた。宗教がなくなれば道徳はなくなる。そのことを考えさせる小説が「カラマーゾフの兄弟」。なぜ宗教が必要かといえば、道徳が亡くなったら何をしてもよいということになってしまうからだ。
・トインビーの歴史観を受け継いでハンチントンの『歴史の研究』が著わされた。現代のキリスト教は人間中心主義。これだと人類は遠からず滅びる。仏教には共存の思想が含まれている。これが東の宗教の強い。釈迦の教えは欲望を抑えて欲望をコントロールできる人間になれという教え。仏教が身に付いた文学者は宮沢賢治ただ一人。
・宗教は生き方の手助けをすべきなのにある見方への同化を誘っているから反対、道徳をきちんと教えれば宗教は不要などいろんな考え方はあるが、それに反対する考え方もある(生徒に自由に討論させている)。
・日本に仏教が入ったのは欽明天皇の13年、552年。538年説もある。東大寺の大仏の開眼供養は752年。聖徳太子と行基の2人により仏教は日本の民衆の底辺まで広まった。聖徳太子は三経義疏という経典(勝鬘経、維摩経、法華経)の注釈書を作った。聖徳太子の仏教の中心は法華経。これがその後の日本の仏教の中心になっていく。後に最澄が聖徳太子の思想を受け継ぎ、天台仏教の宗派を建てた。聖徳太子は上からの仏教布教者、行基は下からの仏教布教者。
・源信『往生要集』は空海がいうような大変な行なくして観念の念仏で極楽浄土に行けると説いた。法然は、善導の『観無量寿経』の注釈書『観経疏』にあるように口で南無阿弥陀仏と言えば誰でも成仏できると説いた。藤原頼道(道長の嫡男)の建てた平等院は極楽浄土に行けるような幻想を起させる建物だが普通の人には出来ないので誰でも普通の人が成仏する道を開いた。親鸞は法然の戒律と念仏のうち念仏だけでよいと考えて肉食妻帯を肯定した。親鸞のひ孫覚如が親鸞の墓を守り本願寺教団が出来、蓮如が教団を飛躍的に拡大した。
・日蓮はこの世を力強く生きる気持ちが強い、商人は元気よく社会的活動をしなければならないので日蓮宗は商人の心を掴んだ。栄西の臨済宗は鎌倉武士と京都の貴族の間に流行った。道元の曹洞宗は農村へ浸透した。
・明治に入った出来た教育勅語は儒教でも神道でもなく西欧の国家主義思想で、それを儒教と神道で少し色を付けたに過ぎない。明治以降、明治神宮に明治天皇を、平安神宮に桓武天皇を祀っているが、日本古来の神道ではえらい人を神に祀るということはありえない。祀るのは怨霊を鎮めるために祀るから。明治以降、神道がおかしくなって天皇そのものを崇拝するようになった。廃仏毀釈で明治になって仏教が教育現場から退き、坊さんの妻帯を政府が許したためにお寺が世襲制になった。宮沢賢治は「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」という有名な言葉を残している。賢治は科学と宗教の一致を考え、人間の意識と銀河系の意識をひとつにさせるという宗教を考えていた。