最澄と空海 日本人の心のふるさと 梅原猛

2005年6月1日初版第1刷発行

 

裏表紙「善行の積み重ねによる成仏を説く最澄、自然神との一体の即身成仏を説く空海。二人の教えは現在人の心の危機を救う。」

 

目次

1部 たたかう求道者、最澄

2部 万能の天才、空海

 

・京都の高雄山山麓に抱かれて建つ神護寺法華経の講義を行い、これを契機として桓武天皇最澄の関係は深まった。最澄は純粋な求道者の面と共に桓武天皇藤原冬嗣と付き合い天台法華宗の千年にもわたる繁栄の基礎を築いた。

最澄空海もその思想の中心に仏性論をおいたが少し違う。空海は即身成仏論を取るが最澄空海のような即身成仏という考え方はない。

最澄の死後間もなく一向大乗戒壇の設立が認められたが、これにより正式の僧としての資格は東大寺の受戒なくとも授けることができるようになった。最澄の思想で最も重要なのは仏性論と受戒論である。

・長與善郎の戯曲「最澄空海」は最澄側に寄った立場から捉え、これが明治以降の日本のインテリの常識だったが、空海は今見直されている。私は、円的人間の最澄と違い、空海は現世的意志と遁世的意志という二つの中心的を持った楕円的人格を持った宗教家だったと思う。

最澄は天台教学を根本とし密教はその教派の実践面、特に祈祷面を補うためのものとしか考えていないが、空海密教を仏教最高の教えと考えている。

空海の仏教は大日如来の教えである。大日如来は永遠の仏であり、釈迦のように歴史的な仏ではない。大日如来そのもののあらわれであるがゆえに空海の死は教義に背くことになり、空海は今日も生きて瞑想にふけっているとされる。聖徳太子空海も類稀な大きなスケールを持った天才であった。

 

本筋から外れるが、空海最澄から借入れの申出を断ったという「理趣釈経」は一度読んでみたい。