地獄の思想 日本精神の一系譜 梅原猛

昭和42年6月28日初版 昭和63年8月31日44刷

 

目次

はじめに

第1部 地獄の思想

第1章 地獄とはなにか

第2章 苦と欲望の哲学的考察-釈迦の思想の意味

第3章 仏のなかに地獄がある-地獄思想の成立と天台思想

第4章 地獄と極楽の出会い-源信の世界

第5章 無明の闇に勝つ力-親鸞の世界

第2部 地獄の文学

第6章 煩悩の鬼ども-『源氏物語

第7章 阿修羅の世界-『平家物語

第8章 妄執の霊ども-世阿弥の世界

第9章 死への道行き-近松の世界

第10章 修羅の世界を超えて-宮沢賢治の世界

第11章 道化地獄-太宰治の世界

あとがき

 

著者は、日本の思想に流れるのは、生命の思想、心の思想、地獄の思想の3つの原理があるとの仮説を立てる。そして神道密教は生命の思想に、唯識は心の思想に、天台は地獄の思想に属するといえるかもしれないと述べる。釈迦の次に天台を取り上げ、そこでは五時八教の説は捨てた方がよい、捨てても法華経崇拝は成り立つという。一念三千の世界を説く天台の内省の哲学は日本文化に深い内省を教え、そこから浄土教も出てくる。源信の『往生要集』に続いて法然親鸞を取り上げ、親鸞において地獄の思想の帰結を見るという。仏教は地獄は苦の世界であり、キリスト教は地獄は罪の世界であるとし、キリスト教において地獄は人間の本質と深くかかわりあいを持つものではないとする。

本居は源氏物語もののあわれを知るところに本質があるとした。この点は美的価値を道徳的価値と別なものと主張する点で高く評価されるべきである。ただ真言密教において最も重要な経典とされる『理趣経』は性欲は清浄であるとの説を展開していることからして、源氏物語を仏教と関係をもたないという本居の説には疑いの目を向けざるを得ない。著者は闇にたたずむ六条御息所、柏木、浮舟の三人の人間スケッチを試みる。

著者は、『春と修羅』の序文の言葉は、ヨーロッパから学んだ近代的世界観、人間観から、仏教的世界観、人間観への完全なる変換を告知する言葉であり、賢治が「歴史と宗教との変換」と呼んだのはそういう意味であるとする。そしてすべての生きとし生けるものはすべて殺し合いの世界、修羅の世界に生きているゆえ、二重の風景が修羅の心に映っている。修羅の世界から仏能の世界に行くには利他行の実践しかなく、それのみが彼の念願であった。修羅への凝視と利他の思想の悲しさにおいて、賢治は最澄の直接の後継者であると述べる。