2015年9月30日発行 2015年11月15日5刷
帯封「劇場型宗教リーダーとして 国土経営のブルドーザーとして生き 死しては衆生の信仰の柱となった 元祖カリスマ・空海 巨人の脳内に映じた風景をカメラを携えて再現する思索ドキュメント」「空海は二人いた-そうとでも考えなければ説明がつかない…わが国の形而上学の基礎を築き 治水事業の指揮まで執った男。外国語を自在に操り、実学をも掌中に収め、万巻の先端情報を母国にもたらした男。千二百年のむかし、一人の人間に、それら凡てを可能にしたもの。それは後進国ゆえの使命感か はたまた天の導きか。カリスマの足跡を辿り、その脳内ドラマを追う作家の眼。カメラ映像70点とともに21世紀を生きる日本人の精神の奥底を浚う」「結局、日本人はこの人に行きつく」
目次
第1章 千二百年の時空を遡る
第2章 私度僧の時代
第3章 入唐
第4章 空海、表舞台に躍り出る
第5章 二人空海
第7章 高野浄土
第8章 祈りのかたち
第9章 再び高野へ
第10章 終着点
特別対談
・805年に入唐した空海が長安で出会った恵果。恵果は金剛頂経系と大日系の2つの流れに分かれていた密教を統合し、それを千人以上門下がいる中で空海一人に相承し、空海は806年に帰国した。
・同時期に入唐し帰朝した最澄は806年天台法華宗を立宗する。最澄は空海から経典類を頻繁に借用し密教へ傾倒していく。
・空海が示した心の体系
第一住心 倫理以前
第二住心 儒教・仏教の倫理道徳
第四住心 小乗仏教の声聞乗
第五住心 小乗仏教の縁覚乗
第六住心 法相宗
第七住心 三論宗
第八住心 天台宗
第九住心 華厳宗
第十住心 真言密教
・空海が説く四種曼荼羅 大曼荼羅 三昧耶曼荼羅 法(種子)曼荼羅 羯磨(立体)曼荼羅
・空海は、洪水で決壊した讃岐の満濃池修築工事に人望厚い僧空海を別当として起用するよう讃岐国司の言上があったことが「日本後記」に記されており社会事業家としての顔も持つ。
・現代では真言宗と言えば高野山を思い浮かべるが、空海にとって真言密教の根本道場は東寺だった。
・空海の死後、弘法大使の諡号が実現。神格化が起こり高野の御山にまだおはします、と詠われるようになる(梁塵秘抄)。
・高野山は994年に落雷で伽藍のほとんどを焼失し勧進成功後は念仏が持ち込まれて浄土信仰が根を下ろしていく。
・オウムが行っていたヨーガや瞑想の身体技法は修験道や空海以来の日本密教のそれに通じるものである。密教が教義の根本に身体による実践を置く以上、密教僧とオウム信者を分けるものが実はそれほど明確にあるわけではないことに思いを馳せる必要がある。
・『法華経』譬喩品に「癩」が登場する。ハンセン病を業病と受け止め患者たちは日蓮宗寺院の周辺に住み着き集落を形成した。中でも熊本の本妙寺は有名である。
・著者は、終わりにの末尾に「もしタイムマシンがあったなら、私は誰よりも生きた空海その人に会ってみたい」のひと言を添えて終えている。
・巻末の前高野山真言宗管長松長有慶vs高村薫の特別対談が掲載。松長氏は空海をつかむ代表的な言葉として「谷響きを惜しまず、明星来影す」、恵果から教えを授かった時の「冒地の得難きには非ず此の法に遭ふことの易からざる也」、晩年の「虚空尽き、衆生尽き、涅槃尽きなば、我が願も尽きん」の3つをあげ、高村氏が身体体験と言語表現を総動員した空海の密教世界の全貌は残念ながら衆生に十分に理解されたとは言い難い。空海の築いた壮大な密教世界は空海に始まり空海で終わったといえるのではないかと述べている。
空海については、高野山の開祖で、密教を弘め、弘法大師の号を授かったというように習った気がするが、考えてみると、それ以上のことは、ほとんど何も知らなかったことに改めて築かされる。高村氏が空海にここまで強い関心を抱いたのはなぜだったのか、本書を読んでも、ほんわかとはわかるが、やはりまだよくわからないというのが正直なところだ。