菊と刀 ベネディクト 角田安正訳

2008年10月20日初版第1刷発行 2014年4月10日第8刷発行

 

裏表紙「第二次世界大戦中、米国戦時情報局の依頼を受け、日本人の気質や行動を研究した文化人類学者ベネディクト。日系人や滞日経験のある米国人たちの協力を得て、日本人の心理を考察し、その矛盾した行動を鋭く分析した。ロングセラーの画期的新訳。」

 

目次

第1章 研究課題―日本

第2章 戦争中の日本人

第3章 応分の場を占めること

第4章 明治維新

第5章 過去と世間に負目がある者

第6章 万分の一の恩返し

第7章 義理ほどつらいものはない

第8章 汚名をすすぐ

第9章 「人間の楽しみ」の領域

第10章 徳目と徳目の板ばさみ

第11章 鍛錬

第12章 子どもは学ぶ

第13章 敗戦後の日本人

 

第1章

・戦争の最中、敵の本質、日本人の行動の意味を理解しないことには対処の仕様がないことに気付いたアメリカは、1944年6月、文化人類学者のベネディクトに日本研究を委託する。

戦争を軍事問題ではなく文化的問題として取り上げ、日本人の行動様式を研究し、日本の攻撃予測を立て、本土上陸なしく降伏させられるか、いかなるプロパガンダが米人の命を救い日本人の徹底抗戦の決意をくじけるか、国際平和のためには日本人を根絶する以外に道はないのか等を考えようとしている時点で、もはや勝てる相手でない相手と戦っていることを痛感した。

・調査方法として現地調査を断念せざるを得ないため、研究対象の国民に面接し、日本で制作された映画を見に行き、生活上のすこぶる人間的な日常茶飯事を記録して余すことなく認識することを可能とし、その上で差異が存在することを受け入れ尊重するという姿勢に徹し、そのようにして得た結論(日本における善悪)は、欧米の価値観とは異なり特異なものであること、仏教でもなければ儒教でもなく日本的なものであったというものである。

 

 

第2章

・改葬全体の優秀性を無批判に認めていたわけでないが。天皇に対する忠誠は無条件かつ無制限のものであり、天皇だけは批判を免れていた。降伏無用の方針のため投降した後の取り決めが日本にはなかった。ところが終戦間際の数カ月のうちに模範的捕虜の域を超えた優等生ぶりを発揮した。この180度の転換・豹変はどこに由来するのか。

 

第3章と第4章

・日本の歴史を辿りながら第3章では特に江戸時代における社会秩序の維持と身分制の関係に洞察を凝らす。ちなみにハル・ノートは主権の不可侵および領土の保全、他国の内政に対する不干渉、国際間の協力と調停、平等の原則の4項目をあげ、アメリカ人の原則であるとしている。第4章では明治から昭和初期にかけての日本の統治制度に関する洞察を加える。

 

第5章

・「恩」は愛でもなく忠誠でもない。「恩」とは返すべき借りである。ありがとう、は貴重な恩恵として、お愛想として使われる。すみません、は感謝の気持ちを表す言い回しである。相手から恩を受けたことや、その恩は○○を受け取るだけでは済まないということである。かたじけない、は並々ならぬ恩恵をほどこされて恥辱を感じる、なぜなら自分はそのようなことをしてもらうに値しないから。恥を率直に認めたことになるフレーズである。その後、『坊ちゃん』や雑誌の「身の上相談」を紹介しながら金銭的な基準を金銭以外の事柄に応用する習慣がないアメリカと日本を対比する。日本は愛や親切などはヒモ付きにならないわけにはいかない。一挙手一投足に貸し借りの勘定が付いて回るとする。

 

第6章

・その上で、日本は報恩には2種類あるとし、一つは、無制限、無際限の恩であり、義務である。義務には両親に対する恩返し(孝)と天皇陛下に対する恩返し(忠)がある。もう一つは収支が均衡している、金銭の貸し借りのような恩。忠も孝も中国語であり、中国人はこれらの徳目を絶対化せず、その上の徳目「仁」を設定(思いやりと英訳される)し、あらゆる人間関係にこれを適用するが、日本では「仁」は受け入れられなかった。

 

第7章

・英語には義理に当たる単語がない。義理は日本独特のもの。国語辞典でもほとんど定義できていない。義理は二つの範疇からなる。世間に対する義理と自分の名に対する義理。前者は主君、家族、他人、親戚への責務があり、後者には恨みを晴らす責務、自分の失敗や無知を認めない責務、礼儀作法を守る責務がある。義理と対照的なのが義務である。義理には返済に期限がついていて与えられた厚意と同じ量だけ返すべきものとみなされているが、義務には期限がなく精一杯返しても依然として一部しか返したことにならない(表188~189p)。

 

第8章

・自分の名に対する義理は復讐の傾向をはらみ、世間に対する義理は親切を返す務めであり、欧米はこの二つを復讐と感謝という相互に対立する範疇に分けるが、日本人はそれでは納得しない。中国人は侮辱や中傷には神経質になることを小人の特徴とみなし名に対する義理は徳目に掲げることをしない。日本人は汚名をすすぐという義務に力点を置き、それゆえ実際の生活では出来るだけ侮辱を感じなくてすむように事を運ぶ。日本人は名誉こそが常に変わらぬ目標となっているから、変わることを道徳の問題とは思っていない。欧米人は原則を追求しイデオロギー的な問題に関する信念を問題にするが、日本人は正反対の方向に舵を取ることができる。日本人の目標は依然として名声を得ることにあるからだ。この臨機応変の現実主義は名に対する義理の明るい一面である。

 

第9章

・日本人は禁欲主義者ではないが、快楽は応分の場から逸脱することが許されない。そのため生活は極度の緊張を強いられる。温浴、睡眠、食事、恋愛、酒を取り上げて、人間の楽しみに関する日本人の見方は哲学レベルで西洋と対立するとする。世界は善と悪が争う場ではなく、人はみないずれ仏になる可能性を秘めている、悪との闘いの中に善があるという考えを日本人は一貫して否定してきた、小説も芝居も映画も一生懸命に恩を返せばそれで十分であった。

 

第10章

・恥を強力な支えとしている文化と罪を強力な支えとしている文化を区別することは文化人類学研究においては重要である。罪を犯した者は心を打ち明けることによって安らぎを得られる。恥の文化は外部の強制力を頼る。内面化された罪の意識を頼ることはない。日本人の行動を律するものは人からどう見られるかという恥の意識である。

 

第11章

アメリカ人は選んだ目標を達成するために必要であれば自己鍛錬をする。日本人は誰もが自制心および克己心を鍛えているという見方をする。「死んだつもりになって生きる」ことは西洋人にとっては極端に感じる(「生きる屍」が逐語訳)が、日本人は達人の域で生きるという意味で用いる。アメリカ人を善行にみちびく強力な強制力は罪の意識である。日本人は恥という自己検閲を排除することを目的として達人の域にたどり着くための修練を積む。

 

第12章

・幼少期の子育ての仕方はアメリカと日本では異なる。日本では躾けは厳しいが我儘は乳幼児と老人に許されている。アメリカでは躾けは甘いがこどもの願いはこの世で最高のものではないことを思い知らせている。やがて6歳か7歳を過ぎると用心深く振舞うことと「恥を知ること」の責任を負わされる。それを促すのは習慣の刷り込みと両親の芝居だ。こども時代の前期と後期は仲間に受け入れられることがとても大事だということが心に刷り込まれる。初期に形成される側面は「恥をともなわない自己」であり、その後に恥を土台とする人生は様々な制約に縛られるが、自己犠牲という考え方は拒絶し自制・自重と受け止める。

 

第13章

・日本は平和国家として出直すにあたって真の強みをそなえている。それは、ある行動方針について「あれは失敗した」と一蹴し、エネルギーを注ぎ込む経路を切り替えることができるということだ(478p)。

 

私なりに要約すると、こんな感じですかね。書かれている内容については、全部が全部首肯できるわけではないにしても、それにしてもよくぞここまで日本人の精神構造や文化的なもの・背景を把握し、それを表現することができたもんだとほとほと感心しますね。日本がこれからどのように世界の中で信用を維持していくことができるのか、世界の中で日本がどう見られているのか、他の国の行動原理なり行動様式といったものはどういうものなのかということを考える上で、とても有益なテキストだと思います。猪瀬直樹さんの「昭和16年夏の敗戦」を同時並行で読んでいますが、それと単純に比較することはできないものの、やはり戦時中にそもそも文化論的に斬り込もうとする発想そのものがさすがだと思わざるを得ませんでした。