「覚える」と「わかる」 知の仕組みとその可能性 信原幸弘

2022年12月10日初版第1刷発行

 

帯封「頭の中で何かが起きている⁉ 意味がわからない暗記も役立つ 直観は議論にも使える 正しい判断には感情が必要」

裏表紙「『理解する』とはどういうことか? 空気を読む際、私たちの頭と感覚は何をどう察知しているのか? 丸暗記、身体で覚える、まねるといった学習の基本から直観、批判的思考、知の可能性までを探っていく。」

 

目次

第1章 覚える

    1丸暗記/2身体でも知る3/「まなぶ」と「まねぶ」/4体験して学習する

第2章 わかる

    1意味を理解する/2知識と真の理解/3視覚的な表現と操作可能な表現/4直観の正体

第3章 状況を把握する

    1計画とその限界/2状況に応じて行為を決める/3関連性をつかむ/4場の空気を読む

第4章 人間特有の知とは何か

    1徳/2真理の探究と課題の解決/3批判的思考とは何か

第5章 機械がひらく知の可能性

    1自己認識と他者理解はどう変わるのか/2架空と現実の違いがなくなるのか/3拡張する心

 

各章ごとに簡単なまとめがある。これは各章を読んだ後に読み返すと非常にコンパクトにまとまっているので自分の頭の整理になる。ただしこのまとめを読んだだけでは本書の良さは決して分からない。

 

第1章のまとめ

「覚える」という知的活動は多岐にわたる。私たちは暗記し、身体で覚え、まねして覚え、体験して覚える。意味もわからずに丸暗記するのは、苦痛だが、理解への第一歩として重要だ。身体で覚えるためには、練習して適切な身体をつくらなければならない。まねして覚えるとき、試しにやったことの良し悪しがよくわかれば、学習が順調に進む。体験して覚えるというのは、体験によって物事がどんな感じか(物事のクオリア)を知ることだ。三人称の客観的世界を獲得できるのは人間のすぐれた能力だが、それは一人称の主観的世界を基盤として可能になる。

 

第2章のまとめ

「わかる」というのは、物事を理解することである。物事の理解には、その内容の理解と意味の理解がある。言葉の意味がその使用(働き)であるように、物事の意味もその働き(どのようにして生じ、どんな結果を引き起こすか)である。物事の理解は知識の獲得である。知識には命題知と技能知がある。命題知は言葉だけで獲得できる。技能知は実践的な練習によって獲得できる。命題知は言葉の意味の知に関係する技能知を基盤にして可能となる。自然言語のほかにも、多様な表現があり、それぞれ独自な仕方で物事の理解に貢献する。視覚的表現は物事を可視化し、数式などは形式的操作を可能にする。直観は、物事の核心の把握と候補の絞り込みを可能にすることで、物事の理解を助ける。

 

第3章のまとめ

計画は重要だが、すべての可能性を考慮した完全な計画は不可能である。ある程度は、その場で考えて行動する(「アジャイル」で行く)しかない。そのため、その場の状況に応じて臨機応変に対処する能力が重要となる。何らかの課題を遂行する場合は、状況に応じてうまく課題を遂行するために、課題に関連する事柄を効率的に把握することが必要となる。人間はこの「フレーム問題」を興味・関心の情動によって解決する。情動をもたない人工知能には、フレーム問題の解決がむずかしい。遂行すべき課題がどくにない場合は、状況を適切に把握して課題を見いだすことが必要となる。このような状況の把握は知覚と情動の協働によってなされ、その根底には「実存的感情」が働いている。

 

第4章のまとめ

人間に特有の知として、知的徳と批判的思考がある。徳は卓越した性格を意味し、倫理的な判断や行為に関わる倫理的徳と知識の獲得に関わる知的徳に分かれる。知的徳は真理の探究や課題の解決において重要な働きをする。真理の探究には、純粋な好奇心が必要である。どの知識が課題の解決に役立つかの「メタ知識」を得るには、しばしば暗中模索を耐え抜く知的な粘り強さや忍耐力が必要である。批判的思考は証拠の確かさと推論の妥当性を吟味しつつ行われる思考である。それは情動を排して理性的に考えることではなく、適切な情情動にもとづいて理性的に考えることで成立する。批判的思考には、事実の正しい認識が必要だが、そのためには正しい事実のもとで生存が可能でなければならない。

 

第5章のまとめ

脳活動から心を読み取るマインドリーディングが可能になれば、自分や他者の心をいまよりはるかに容易に知ることができ、コミュニケーションが円滑に進む。他方で、自分の心がわかりすぎて煩わしかったり、「心のプライバシー」が侵されたりするという問題が起こる。ヴァーチャルリアリティやメタバースが発展・普及すると、架空と現実の区別が曖昧になり、両者の融合が進む。私たちはメタバースで生活をし、さらに心をコンピューターに移す「マインドアップローディング」を行うかもしれない。しかし、それが善いことかどうかは別問題である。知的機械と一体化すると、脳・身体および心は皮膚の外にまで拡張する。人間は生まれながらのサイボーグであり、AIと合体してトランスヒューマンになろうとする人もいる。どこまでサイボーグ化するのが善いかはつねに考え続けるべき問題である。

 

私は、本書の特徴は、第3章と第4章にあると思う。第1章・第2章・第5章は通常この手の本であれば大体どの本にも同じようなことが記載されている。それに対して、第3章と第4章は本書の特色が現れている。特に、アジャイルや、情動と際立ちからフレーム問題を考え、更に実存的感と絡めて、AIと人間を区別するという発想は本書で初めて知り得た。また知的徳の一部として「開かれた心」「好奇心」「知的な粘り強さ」「知的な忍耐力」を指摘し、それ以外にも知的徳があるとの指摘には大変刺激を受けた。これを探す思考の旅は結構楽しそうだ。