さぶ 山本周五郎

昭和40年12月25日発行 昭和51年7月20日21刷改版 昭和54年5月28日28刷

 

表紙裏「小雨が靄のようにけぶる夕方、両国橋をさぶが泣きながら渡っていった。その後を追い、いたわり慰める栄二-江戸下町の経師屋芳古堂に住みこむ同い年の職人、男前で器用な栄二と愚鈍だが誠実なさぶの、辛さを噛みしめ、心を分ちあって生きる純粋でひたむきな愛と行動。やがておとずれる無実の罪という試練に立ち向かう名かで生きたひと筋の真実と友情を通じて、青年の精神史を描く。」

 

日本橋・芳古堂で奉公していた15才のさぶと栄二。さぶの実家は貧農、栄二は幼い頃に両親と妹を亡くし、互いに心を通わせて懸命に働いている。5年後、二人は、堀江町の小料理屋・すみよしで、おのぶと会う。さぶはおのぶに好意を寄せ、職を変えたいと言うが、栄二は将来店を持って一緒にやろうと宥める。栄二は得意先の綿文で働くおすえに好意を寄せ、所帯を持ちたいと願う。3年が過ぎたある日、栄二は得意先の綿文を出禁となる。兄弟子から盗みの嫌疑をかけられたことを聞き、やけをおこして酒や女に溺れる。酒気をおびた状態で綿文に出かけるが相手にされず、親方は栄二を放逐した。再度栄二は綿文に出向くが、番屋に連行され身許を一切言わないために北町奉行所の仮牢、石川島「人足寄場」へ送還される。栄二はもっこ部屋に回され、女房の殺害未遂をした与平と知り合う。ある日さぶが突然訪ね、栄二は無視する。栄二は才次と知り合い少しずつ口をきくようになる。次第に世の中の不条理があることも知る。さぶの代わりにおすえが現れ、栄二は濡れ衣を着せた綿文に復讐することを予告する。ある日、さぶが芳古堂から暇を出されたことを聞かされる。寄場の作業中、栄二は崩れた石垣に埋もれ潮が満ち今際の際に直面するが寸での所で足を骨折しただけで運よく仲間に助けられる。瀕死の経験をしたことで栄二は仲間達に深く感謝する心を覚える。おすえやさぶが訪ねてきた時、栄二はさぶに感謝と詫びの言葉が素直に出る。

寄場で儀一らを滅茶苦茶に痛めつけた栄二は栄二北町奉行所で再吟味されるが乗り切る。

人間として成長し始めた栄二はおすえやさぶの協力を得て大きな仕事に巡り当たり、貧乏暮らしを抜け出す目処が立ったところで冤罪事件の真相を明かされる。かつて復讐だけを生きがいにして生きてきた栄二が復讐の炎を消して心機一転生まれ変わった矢先の出来事。実はさぶが。。。と思いきや、別の人物によって起きた悲劇だった。最後の数ページは流石に種明かしをするわけにはいかないと思うので、ここまでにしたいと思います。

本作は名言が随所に出てきます。

寄場で知り合った与平の言葉「にんげん誰しも、考えることは自分が中心ですからね、他人の痛みは三年でも辛抱するが、自分の痛みにはがまんができなって、よく云うでしょう、私も或る日、とうとう辛抱をきらしました」「どんなに賢くっても、にんげん自分の背中を見ることはできないんだからね」「世の中には賢い人間と賢くない人間がいる、けれども賢い人間ばかりでも、世の中はうまくいかないらしい」「もしも栄さんが、わたしたちの恩になったと思うなら、わたしたちだけじゃなく、さぶちゃんやおのぶさん、おすえちゃんの事を忘れちゃだけだ、おまえさんは決して一人ぼっちじゃなかったし、これから先も、一人ぼっちになることなんかあ決してないんだからね」「能のある一人の人間が、その能を生かすためには、能のない幾十人という人間が、眼に見えない力をかしているんだよ、ここをよく考えておくれ」

同じく松田権蔵の言葉「人は忍耐が肝心だ、こらえ性のない者は損をするぞ」

栄二「人間の一生は、一枚の金襴の切などでめちゃめちゃにされてはならない」「人間にはみんな備わった能があるんだ、棟梁だからえらくって叩き大工だから能なしだなんてことあねえ」「どの職に限らず、その仕事を自分のものにするには誰にも負けない腕をもたなくてはいけないし、それでもちょっとゆだんをすれば、横から人に取られてしまう、まるで一疋の餌食を奪いあう狼の群れのようだ」

同心の岡安喜兵衛「人間どうしの問題では、いそいで始末しなければならない場合と、辛抱づよく機の熟するのを待つ場合とがある」

おのぶ「人間が人間を養うなんて、とんでもない思いあがりだわ、栄さんが職人として立ってゆくには、幾人か幾十人かの者が陰で力をかしているからよ、―さぶちゃんはよく云ったでしょ、おれは能なしのぐずだって、けれどもさぶちゃんの仕込んだ糊がなければ、栄さんの仕事だって思うようにはいかないでしょ」「世間からあにいとか親方とかって、人にたてられていく者には、みんなさぶちゃんのような人が幾人か付いているわ、ほんとよ、栄さん」

 

本書の主人公は栄二であるし、栄二の成長物語である。タイトルにある「さぶ」は名脇役に過ぎない。しかも、口下手なさぶが名セリフを語ることはない。名セリフは与平が語っている。才能もあり、頭も切れ、喧嘩にも強い栄二だが、何が人として大事なのかを教えてくれるのがさぶだ。思い上がった人物は恩知らずである。いくら腕が良くても、人としてダメなものは駄目、人として最も大事なものは何かを教えてくれる、さぶと栄二だった。