長谷川素逝の百句 物心一如の凝視 橋本石火

2022年2月14日

 

表紙裏「素逝の『砲車』は戦争賛美の句集ではない。敵兵への憎悪の句はあるが、中国民衆へ心を寄せた句もあり、戦友を思い遣った句もある。素逝は聖戦を信じて疑わなかったが、句はその時々に目にしたことを偽らざる心のままに句にしている。聖戦という素逝の考えと作る句とはリンクしていないと考えた方が良い。戦後、病床にあった素逝が『定本素逝句集』を編むとき、『砲車』の句を三句採っただけで、後はすべて採らなかった。『定本素逝句集』の発刊を見ることなく亡くなった素逝の真意は測りかねるが、『GHQの検閲を逃れるため』『戦争俳句を後世に残したくなかったため』などと推測されてきている。素逝自身があの忌まわしい戦争を自分の記憶から抹消したいという思いもあったのではないだろうか。『弟を返せ天皇を月にのろふ』という激しいまでの憤りから、素逝が聖戦と信じて疑わなかった戦争を嫌悪したためとも考えられる。しかし、『砲車』は素逝の温かさや優しさのあふれた人間味のある句集であることには変わりない。」

 

いちにちのたつのがおそい炉をかこむ    『三十三才』昭和10年

月落ちぬ傷兵いのち終りしとき       『砲車』昭和13年

紙干して村のその日がはじまりぬ      『幾山河』昭和15年

竹馬の兄の高さにのれなくて        『ふるさと』昭和16年

生徒らと五月の朝の窓あけて        『ふるさと』昭和16年

人の世のかなしきうたを踊るなり      『暦日』昭和19年

しづかなるいちにちなりし障子かな     『暦日』昭和20年

 

巻末の「物心一如の凝視」によると、素逝は21歳で「ホトトギス」で初入選して以来、虚子を師として「ホトトギス」に投句を続け、巻頭を11回取っている、素逝は「ホトトギス:のプリンスと言われ、虚子に将来を嘱望されていたが、病のために39歳の若さで亡くなった、素逝は一メートルの縁を描き、その中に動かずにいて俳句を作ることを弟子たちに勧めたとうかがったことがある、ひたすら物を見つめ、物の命を掴むこと、即ち物心一如が素逝の俳句感度でった、とのことである。