波多野爽波の百句 新しい俳句の挑戦 山口昭男

2020年7月7日初版発行

 

表紙裏「爽波がどんな句をよい句だと考えていたかは、毎月の『青』の『選後に』を読めばほぼわかってくる。当然弟子たちの作句の方向を修正したり鼓舞したりという意図もあったろうが、あの頁はたいへん貴重な内容がちりばめられている。今ここですべてを紹介することは出来ないので、次の一句を元にした爽波の考えを見てみたい。 「ラグビーの選手あつまる桜の木 田中裕明」 この句に対して、ラグビーの選手が集まってこれから先のことを想像するのは見当違いだとまず述べその後、集まるまでの選手たちの動きを原稿用紙一枚分以上の言葉で説明している。この欄でこれほど詳しく一句の背景を説明したのは珍しい。それほど心が動いたということであろうか。そして締めくくりとしてこのように言う。『いい俳句というものは表面単純のように見えて仲々に奥が深い。読み手はその句の中に入って連想の翼を拡げながら自由に遊ぶことが出来る。』(『青』二月号昭和五十四年)。裕明のラグビーの句を「いい俳句」という前提でこれだけの言葉を費やしている。実際の俳句が示されているので、納得してしまう。」

 

鳥の巣に鳥が入ってゆくところ     『舗道の花』昭和16年

冬空や猫塀づたひどこへもゆける    『舗道の花』昭和24年

赤と青闘ってゐる夕焼かな       『舗道の花』昭和27年

青写真そこらまたゆく寺男       『湯呑』昭和51年

玄関のただ開いてゐる茂かな      『骰子』昭和56年

天ぷらの海老の尾赤き冬の空      『骰子』昭和57年

理屈などどうでもつくよ立葵      『一筆』昭和61年

多すぎるとおでんの種を叱りけり    『一筆』昭和62年

悲鳴にも似たり夜食の食べこぼし    『一筆』昭和63年

宇治に来てひとりは淋し門茶かな    『青』平成2年

 

巻末の「俳人波多野爽波の教え」には、波多野の説く道筋の一端が述べられている。

「1 作る 捨てる 覚える 読む」、「2 ものを見て作る 人を描く」、「3 季語の働きを知る」、「4 よい句とは」、「5 爽波の言葉」の項目で、とてもコンパクトにわかりやすくまとめられている。俳句も、季語を始め、基本を徹底的に学び、具体的な事物を前にして多くを写生し、諳んじて覚える。「古今の名句が頭に一杯詰まっていなくて、何の俳句作りであろうか。単に記憶力の良し悪しの問題ではないはずである。」というのが爽波の言葉だったらしい。大変勉強になる。