漂流 吉村昭

昭和55年11月25日発行 平成元年9月15日15刷改版 平成6年6月30日25刷

 

裏表紙「江戸・天明年間、シケに遭って黒潮に乗ってしまった男たちは、不気味な沈黙をたもつ絶海の火山島に漂着した。水も湧かず、生活の手段とてない無人の島で、仲間の男たちは次次と倒れて行ったが、土佐の船乗り長平はただひとり生き残って、12年に及ぶ苦闘の末、ついに生還する。その生存の秘密と、壮絶な生きざまを巨細に描いて圧倒的感動を呼ぶ、話題の長編ドキュメンタリー小説。」

 

 天明5年、土佐を出港した300石船は嵐に遭い、長平たち4人の船乗りは水も食料もないまま漂流し、江戸から600キロ離れた無人島「鳥島」に辿り着く。あほう鳥だけは島を埋め尽くすほどいたために食糧はある。島を歩き回ると、あちこちに白骨遺体が目に入り、長平たちは絶望的な気分に陥る。が長平は「必ず近くを船が通る。それを心の支えに、身をすこやかにして生きてゆこう」と他の者をはげます。長平はあほう鳥が少しずつ飛んでいく姿を見て、いずれ全てが飛び立つ渡り鳥であることに気付く。鳥の干物を蓄え、翌年からは大きい卵の殻を集めて雨水を溜め込み別の殻で蓋をして飲み水を備蓄する。長平は石で月を貝で日を数えていたが、1年目に水主頭が、2年も経たない内に栄養の偏りで疼痛がひどくなり、長平一人残して他の2人も死んでしまう。2人の死因を考えた長平は栄養が偏らないように海藻や魚を食べ、体を動かし、鳥の羽で蓑のような衣服を作り、死んだ仲間を弔う。 4年目にして初めて難破した儀三郎と声を交わす。江戸を出て水戸廻りの予定が漂流し11名がこの島に漂着。長平は11人の男たちに「愚痴を言いたければ、言うがいい。しかし、いくら愚痴を言ってみても、なんの益もないことがわかります。所詮叶わぬ身であるとさとれば、そこから生きる力のようなものが湧いてくるものです」と語る。一人で1年半も生き抜いてきた長平の強い意志力と思慮深さに敬意を抱かれる。火打石で火を得ると火で焼いた鳥が食べられ、そのうまさに身が震えた。儀三郎は文字が読めたので、以前長平が発見した島の洞窟は50年前に仙台から江戸に向かう難破船の船乗り17名の跡だったことがわかる。儀三郎は長平から体を動かすことの大事さを教えられると皆と一緒に街道作りに励む。次第に生きる意欲を喪失する者が増えてくる中で、長平は塩が出来ていることに気付き、儀三郎に塩づくりを提案する。儀三郎の仲間が栄養失調で1人死ぬ。また三味線を弾く忠八も失踪。長平は忠八をよく知る清蔵と探索に向かうが、忠八は崖から飛び降りてしまう。皆は心が荒み講論が絶えなくなり、時に殴り合いの喧嘩に発展する。長平に加え、儀三郎、清蔵、三之助だけは積極的に生きようとしていた。酒造りに詳しい者が一人いたことから、清蔵と三之助は小豆から麹を誕生させ、見事に酒造りを成功させた。が、すぐに酸っぱくなってしまう。儀三郎たちと一緒に暮らす生活が2年続いた。ある日伝馬船が近づいて来た。志布志から6人が漂流してきた。島に上がると空舟になった直後に岩に激突して砕け散ってしまう。新たに加わった栄右衛門は入水自殺を試みようとした総右衛門に「長平さんは、ただ一人でこの島に暮らしてきたのだ」「生きてさえいれば、故国へ帰る道がひらけぬとも限らぬ。生きてゆくのだ、生きるのだ」とあやすように語る。剃刀で月代を剃り鋏で髭を剃り身綺麗になると少し明るくなった。重次郎の指導で漆喰塗りの池を作ることになり、雨が降ると無事水が溜まり池が出来上がった。志布志出身の総右衛門は希望を失っていたためか余り動かず一人先に死んでしまう。総右衛門は50歳でもあり故郷に帰るために努力をすべきことを長平と儀三郎に訴える。助けを求めるためには、狼煙台を高い所に設けて狼煙をあげて救出を待とう、飛脚となるあほう鳥の首に木札をつけようと様々努力を重ねるが上手くいかない。地域によっては「腰とどめ」の定めがあるものの、所帯持ちの多く、自らの妻のことを考えて呻く者が次々と出てくる。そんな中、長平は皆に、志布志達の船には良質の船用の大工工具一式が積まれていたので、船を作って島から脱出しようと提案する。船作りの経験など皆無なので皆すぐには賛成しないが、長平がこのまま朽ち果てるか故郷へ帰るか、おれたちは船乗りとして船のことはよく知っている、知恵を集めれば舟を造れぬはずはない、と励ますと、儀三郎は賛意を示し、ようやく皆で力を合わせて船造りが本格化する。とはいっても木材も釘もない中でどうやって船を造るのか。それには難破船からたまに流れ着く木材をかき集め、どれだけ時間がかかっても諦めずに作業に没頭した。釘がなくなると一時は絶望的となったが、碇が漂流してきたことからこれで多数の釘を作り出し、3年かけて継ぎはぎだらけの35石の伝馬船が遂に完成する。出帆すると八丈島近くの島にたどり着き、八丈島を経て、それぞれの生まれ故郷に辿りつく。長平にとっては13年の年月が経過していた。(了)

 

目の前にある全てが当たり前にあるが、すべての当たり前に深く感謝することができる。それにしても長平の強靭な精神力は凄まじい。特に1人になっても己に打ち克ち、周囲が気落ちしてもそれに引きずられることなく周囲を励まし鼓舞する姿には心底敬服する。