漱石・松山百句 坪内稔典・中居由美編

2007年2月28日発行

 

あとがきによると、漱石は松山の地で俳句を始め、子規の指導のもと俳句に集中した。松山時代には漱石の俳句は約700句余りありその中から百句を選んでみないかと坪内から言われて選んだとのこと。

 

『坊ちゃん』を読み返す良い機会だ。気にいった俳句は以下のとおり。

 

鐘つけば銀杏ちるなり建長寺

 この句は明治28年9月6日、子規の「柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺」は同年11月8日に海南新聞に発表されており漱石の方が早いので子規の発想の源にはこの漱石の句があったのだろうと解説者は語る。

 

名は桜物の見事に散る事よ

 子規の添削前の句は「名は桜偖も見事に散る事よ」。

 

日は永し三十三間堂長し

 日永という時間の長さと三十三間堂という空間の長さを対句的に書き留めたところにこの句の面白さがあるという。

 

梅の花不肖なれども梅の花

 

口惜しや男と生れ春の月

 

どこやらで我名よぶなり春の山

 

限りなき春の風なり馬の上

 なぜか別れの場面を彷彿とされる。しかしつらい別れではない。我々の友情も変わらないぞと誓い合っての別れのような気がしてならないという。

 

永き日やあくびうつして分かれ行く

 

 

今度は東京篇も読んでみよう。