裏表紙「仙台藩主・伊達網宗、幕府から不作法の儀により逼塞を申しつけられる。明くる夜、藩士4名が「上意討ち」を口にする者たちによって斬殺される。いわゆる「伊達騒動」の始まりである。その背後に存在する幕府老中・坂井雅楽頭と仙台藩主一族・伊達兵部とのあいだの62万石分与の密約。この密約にこめられた幕府の意図を見抜いた宿老・原田甲斐は、ただひとり、いかに闘い抜いたのか。」
第1部
序の章 女客 朝粥の会 断章(一) 夕なぎ 挿花 風のまえぶれ
断章(二) 世間の米 こおろぎ 石火 柳の落葉 菊 断章(三)
霜柱 こがらし 断章(四) 貝合せ あやめもわかず 雪
第2部
柿崎道場 梅の茶屋 断章(五) 胡桃の花 蔵王
「朝粥の会」では、伊達藩の家臣ではない伊東七十郎らが甲斐に朝粥の会に招かれ、そこで発した言葉が藩主逼塞と4藩士暗殺の絵解きをする。七十郎は、今回の藩主逼塞が老中坂井雅楽頭に仕組まれたのではないかと疑い、4人の藩士が暗殺される時に「上意討ち」と口にすることの不自然さを指摘するが、原田甲斐はずっと微笑してやり過ごす。
「挿花」のある場面
暗殺された藩士の娘と甲斐との会話が印象的だ。
「宇乃、この樅はね、親やきょうだいからはなされて 、ひとりだけ此処へ移されてきたのだ、ひとりだけでね 、わかるか」
宇乃は「はい 」と頷いた 。
「ひとりだけ、見も知らぬ土地へ移されて来て、まわりには助けてくれる者もない、それでもしゃんとして、風や雨や、雪や霜にもくじけずに、ひとりでしっかりと生きている、宇乃にはそれがわかるね」
「はい―」
「宇乃にはわかる」と甲斐は云った。彼はふと遠いどこかを見るような眼つきをした。
宇乃は思った。おじさまはお淋しい方なのだ。宇乃は甲斐の言葉をそのようにうけとった。自分に云ってくれた言葉とは思わず、甲斐が彼自身の心のなかを語ったのだというふうに。
「雪」のある場面での甲斐の宇乃への独白は、甲斐を待ち受けている今後の運命に対して抵抗しようとしてもできない運命を暗示するかのようである。
「私は父に死なれただけだが、おまえと宇乃は両親に死なれた。家もなく、たよる親族もない。幼いおまえにも、どんなにこころぼそく、どんなに悲しいかは私にわかる、と甲斐は心のなかで云った。―けれどもそれで終るのではない、世の中に生きてゆけば、もっと大きな苦しみや、もっと辛い、深い悲しみや、絶望を味わわなければならない。
―出家をするがいい、坊。と甲斐は心のなかで云った。生活や人間関係の煩わしさをすてて、信仰にうちこむがいい、仏門にも平安だけがあるとは思えないが、信仰にうちこむことができれば、おそらく、たぶん。」
本音を誰にも言うことなく、微笑を忘れず、敵を作らず、生きていく原田甲斐。
味方は少なし敵多し。そんな中、時々、断章が登場する。甲斐と雅楽頭との知恵比べのようなやり取りが続く。思わず息をひそめて読み続ける。新八とおくみとのくんずほぐれつの掛け合いも生々しい。理由を告げることなく、甲斐は妻と離縁しようとし、理由を聞き出そうとする妻に無言を貫く。そんな妻は可哀想であるが、そのような別れを強いなければならない甲斐の苦衷。もちろん甲斐の苦衷は表現されておらず、想像するだけだが、だからこそ一層苦しさが募る。