天子蒙塵(一) 浅田次郎

2016年10月26日第1刷発行

 

帯封「史上最も高貴や離婚劇。自由をめざして女は戦い、男はさまよう。ラストエンペラー・溥儀と二人の女。時代の波に吞み込まれた男女の悲劇と早大な歴史の転換点を描く、新たなる傑作誕生!」「家族とは何か。自由とは何か。清朝最後の皇帝・溥儀は、紫禁城を追われながらも、王朝再興を夢見ていた。イギリス亡命を望む正妃と、私情初めて中華皇帝との離婚に挑んだ側妃とともに、溥儀は日本の庇護下におかれ、北京から天津へ。そして、父・張作霖の力を継いだ張学良は失意のままヨーロッパへ。二人の天子は塵をかぶって逃げ惑う。」

 

序章

日本軍に対し不抵抗の姿勢を崩さなかった蒋介石だったが、張学良は自ら「不抵抗将軍」の汚名を被ることを甘受した。蒋介石か自分のどちらかが嵐の中の小舟から降りねばならぬとすれば自分が降りるしかなかった。張学良は欧州へと船で向かった。

第一章 自由への飛翔

日本の新聞記者が溥儀の元側妃、第二夫人文繍へのインタビューに成功する。が記者が質問することは許されず、西太后の寵愛を受けた李春雲に真実を語り出した。元妃は生理的に溥儀を嫌悪し離れたがっていた。「あの人と初めて出会ったとき、何という凶相の持ち主だろうと思った。これが龍顔と言えるだろうか、と。背は高いけど病人のように薄ぺっらな体で、ひどい撫で肩だった」「小さくて虚ろな目に、度の強い近眼鏡をかけていた。すべての部分が華奢で小さいのに、唇だけがまるで海鼠のようにぼってりと厚かった。ともかくすべてが、ひどく不均衡に見えた」「夫は温床に腰をおろしたまま、そんな新妻をぼんやりと見つめていた」「それはまるで、知性も感情もない爬虫類が、ただおのれの存在だけを信じてじっとしているように見えた。」清朝最後の皇帝愛新覚羅(アイシンギョロ)溥儀は16歳で、17歳の皇妃婉容(えんよう)と結婚し、同時に14歳の側妃・文繍(ぶんしゅう)と結婚した。イギリスへの亡命を考えていたが、日本公使館に匿われ、その後天津に向かった。日本租界の西洋館張園が行宮となった。梁文秀は皇后に阿片を諫めた。復辟の期待を張作霖に寄せていた。租界の外の曹家で溥儀と張学良の初対面が行われた。張作霖はじめ五閣僚が揃っていた。日本でなく奉天に勧めたが、溥儀は決心できなかった。ここで初めて日本の記者は元妃に質問をした。文繍が離婚訴訟を起こした理由を妹が答えた。静園に移り、文繍の離婚申出について欧州系の新聞はこのゴシップに飛びつきたが、日本の新聞だけは一行も書かなかった。奉天特務機関長の土肥原大佐から宣統帝の醜聞を一切書くなという申入れがあったからだった。その直後、満州事件が勃発し、柳条湖で満鉄の線路が爆破され張学良軍との間に戦端が開いた。張学良軍は応戦せず奉天を放棄し、宣統帝が天津を脱出して満州に迎えられて満州国が樹立された。最終的に離婚訴訟を取り下げて元妃の完全勝利と言ってよい和議が成立した。直後、溥儀は面目を保つために和解したのでなく罰を下したとの形式を踏むために勅諭を奉じた。「天子蒙塵」とは「天子がほこりまみれになって逃げる」という意味である。

 

張学良まで天子蒙塵と言ってよいのか疑問だ。