2021年5月20日発行
文永・弘安の役と、二度の蒙古襲来のあと、鎌倉幕府の締めつけが西国にも及ぶと、反発するように悪党が現れ始めた。赤松円心の父も悪党だった。高田庄の代官の館から荷駄が出発した。警護の武士がおよそ百。荷駄の列を襲う機会はそうそうなかった。円心は戦の時の右腕の上月景満に指示を出し襲い掛かった。その中に公家日野俊基の手の者がいた。その者によれば各地で悪党が隆起しているとのことだった。何かが起きそうな気配は播磨にも漂っていた。円心にその力を帝に捧げようとは思わないかと問われるが、円心は笑みを洩らし、自分以外の者のために闘おうとは思わない、それがたとえ帝であったとしてもだ、だから悪党なのである、心の中で呟き、言う相手を間違えたなと返す。嫡男の範資(のりすけ)は尼崎に詰めさせていた。奪った物の商いも尼崎でやっていた。倉の中身の殆どは武器だった。尼崎の館を楠木正季(まさすえ)が囲んだ。眼くらましで人数を多く見せたが、赤松が見るところ、七十位。。正季以外は逃がして正季だけ屋敷に招いた。河内、和泉、摂津の街道で力を持つ正成の弟だった。倉に放り込んだ翌日、楠木正成が一人で円心の前に現れた。不思議な男だった。正成と話をするうちに争いたくないという気持ちが大きくなった。正季に護衛を務めてもらって荷駄を京まで運ぶことにした。京に運べば銭になるからだった。
円心は自分の前に何かが拡がっている、それが何かはまだ見えていないが、五十を超えた円心にとり、人生の終わりに差掛かって初めて心を熱くするものに出会いそうな予感があった。しかし、ここぞという時までこらえていなければ捨て石にされるだけだとも思った。小寺頼季が叡山から戻り赤松貞範の城を訪ねた。小寺頼季は円心の館に向かった。そこで昨年暮れに天台座主となった帝の皇子が毎日僧兵を集めては武術の鍛錬をしている、武士以外の者を集まるかもしれないと伝えた。武士以外とは、悪党、溢者など異形異類の人々だった。日野俊基が直接円心を訪ねて帝のお召しに応じてはどうかと切り出したが返事をしなかった。ただ円心は三男三郎を元服させて則祐と名を改めさせて叡山に登らせた(第1章 遠い時)。
二年半が過ぎた。円心は非公式に法親王に会った。一途ではあるが、すべてを見ているとはとても思えないところがあった。忍びの傀儡師浮羽と会い、鎌倉の情勢を聞いた。足利と新田のことを聞いたが、いずれも赤松にいても分かることばかりだった。円心は上月景満に対しのみ、おのが手で天下を取れるとは思っておらぬ、天下を決したい、悪党として生きてきた、悪党として死ぬべきなのかもしれぬ。道具に使われたくはない、悪党としての意地を通し、この手で天下を決したい、幕府を倒した時、どのような政事が行われるかはわからぬ、ただ新しいものができる、その時を決したい、との思いを伝えた。叡山を降りた頼季が正成宛の書状を届けようとする途中、六波羅に襲われた。日野俊基が山伏姿で和泉に入ったとの噂があったためだったが、頼季は無事正成に書状を託した(第2章 意地)。
備前で追い立てられた三百ほどの野伏りが佐用郡に逃げ込んできた。追っているのは備前守護の軍勢らしい。備前守護の軍勢が播磨に入ったというのなら、六波羅の許しを得ているのかもしれない。どう対処するかは難しいところだった。円心はこの野伏りを討つことにした。法親王の軍四千と六波羅の六千が帝を護るためにぶつかった。小寺頼季も赤松則祐もこの戦いに加わった。法親王は、闘いをはじめられただけでよしとし、大和、紀伊を回り、ひとりひとり集める、そうやって倒幕の軍を起こそうとした。浮羽は、楠木正成が笹置山の帝に拝謁した、笠置山に入らず赤坂で挙兵すると報告した。正成ひとりが生きてさえいれば必ず勝つとも。円心は、自分なら立たない時に正成が立ったことで、死中に活を求めるきわどさがあると見た。鎌倉から大軍が到着し、笠置山は落ち、赤坂城も見殺しにされ(第3章 妖霊星)。
楠木正成の生死は知れず、帝は隠岐に流され、法親王の行方は知れなかった。十七年前、寺田村で大規模な悪党の蜂起があった、その先頭に立ったのが寺田法念だった。その法念、今は太田義了と名を変えた男に円心は会った。播磨の悪党はひとつでよい。亡霊は亡霊のまま斬り殺した。法親王は還俗して護良(もりよし)となり、吉野で倒幕の兵を挙げ、全国に号令した。それに呼応するように河内千早城で楠木正成が大塔宮の挙兵と磁気を合わせて再び兵を挙げた。播磨で円心が立てば京に二重の圧力をかけることができると考えた大塔宮護良は則祐に円心のそばで闘うよう指示した。円心は中山光義に、これから義軍を募り、佐用郡の郡代の館を襲う、挙兵すると宣言した。そして、目指すは京だと。初戦は勝利した。備前の守護が追討の命を受け、楠木正成と違う流れを作り出せるか(第4章 決起)。