日本外史 幕末のベストセラーを「超」現代語訳で読む 頼山陽 長尾剛

2010年1月5日第1版第1刷発行

 

帯封「龍馬も読んだ。篤姫も読んだ。志士たちを魅了した歴史書には、いったい何が書かれていたのか?」「平将門から徳川家康まで、武士の歴史はこんなに面白い!」

 

目次

まえがき

第一部 頼山陽言いたい放題! 論賛編 

第1章 源氏前記「平氏」―武家の政界進出の功と罪 

第2章 源氏正記「源氏」―武家は朝廷の忠実な僕であれ 

第3章 源氏後記「北条氏」―罪深い政権だが、国防は秀逸 

第4章 新田氏前記「楠氏」―もっと評価されてもいい楠公 

第5章 新田氏正記「新田氏」―戦は下手だが、尊王の志だけは貫いた 

第6章 足利氏正記「足利氏」―国を混乱させた大儀なき支配者 

第7章 足利氏後記「後北条氏」―大軍勢を向こうに奮戦した結束の力 

第8章 足利氏後記「武田氏・上杉氏」―洗練された兵法の確立 

第9章 足利氏後記「毛利氏」―義を通した者にこそ天意がかなう 

第10章 徳川氏前記「織田氏」―我が国の礎を築いた英雄 

第11章 徳川氏前記「豊臣氏」―一代ですべてを得、すべてを失った傑物 

第12章 徳川氏正記「徳川氏」―時代に選ばれていた天下泰平の立役者 

第二部 幕末の志士、大盛り上がり! 本文編 

第1章 平氏、歴史の表舞台に躍り出る―〈巻之一 源氏前記「平氏」より〉 

第2章 楠正成の活躍と最期―〈巻之五 新田氏前記「楠氏」より〉 

第3章 織田信長、朝廷に忠義を尽くす―〈巻之十三 徳川氏前記「織田氏・上」より〉

 

頼山陽は、広島の朱子学者。21歳で脱藩し、蟄居の罰で閉じ込められた部屋の中で『日本外史』の原型を作成。24歳で自由放免となり、手直しを重ね『日本外史』全22巻を完成。尊王攘夷の志士に影響を与え、幕末のベストセラーとして知られる。構成は次のとおり。

第1部『源氏』 前記「平氏」、正記「源氏」、後記「北条氏」 

第2部『新田氏』 前記「楠氏」、正記「新田氏」

第3部『足利氏』 正記「足利氏」、後記⑴「後北条氏」、後記⑵「武田氏・上杉氏」、後記⑶「毛利氏」

第4部『徳川氏』 前記⑴「織田氏」、前記⑵「豊臣氏」、正記「徳川氏」

 

本文の最後に必ず「論賛」というタイトルで頼山陽の分析が書き添えられている。これが実に独断的で面白い。作者のスタンスとして「上下関係・身分の違いを絶対視する考え方:名分論」によって立つ。

 

平氏藤原氏の真似をしただけ。清盛ばかりを責めるのは公平ではない。平将門だけは例外。藤原氏の警護役が源氏。平氏と源氏は朝廷と藤原氏の代理戦争をやっていたともいえる。

・頼朝は天皇を凌駕しようという野心を抱かなかったが故にわが国には中国の曹操のような乱臣が現れなかったのであるから、その意味で頼朝のわが国に残した足跡は偉大である。

・権力の実権を裏で握った北条家が民のために尽くし元寇を撃退したことを一応評価するが、承久の乱で朝廷に手をかけ流罪したことは頼山陽によって許せざる一大事だった。

楠木正成を過小評価しかできない後醍醐天皇の「建武の中興」が失敗するのはさもありなんである。

新田義貞を「正記」扱いしたのは徳川家が新田氏の流れを汲む一族だからである。戦下手だが朝廷への忠誠心だけは深かった。

・自らの傀儡となる北朝勢力を作った足利氏は頼山陽からすれば絶対に許せない極悪一族。

北条早雲の強さの秘訣は、彼が英雄たちの心と絆を結び、どうしてやれば英雄たちが喜ぶのか、常に気を配ってやっていたからである。臣下たちの願望とやる気を掌握してそれに応えてやろうと努めたからである。

・「勇悍趫捷(ゆうかんきょうしょうにして、恥を重んじ詩を軽んずるは、我が国俗の自ら有する所。我が先王、またこれを養ふに恩を以てし、これを結ぶに信を以てす)(武田氏・上杉氏)

・幾島の戦いで元就は、主君の大内義多隆を殺して領土を奪った逆賊陶(すえ)晴賢を誅した。事前に勅命を願い出たところに元就の正義の特筆すべきところがある。

・国の利益は己で確保する、人民を守る。この2点は支配者が支配を長く続けるためには十分に気を配る必要がある。

・小牧の合戦こそ徳川氏が天下を握るべき武家として天に認められた戦いである。

 

大著『日本外史』のエッセンスをコンパクトに纏めた内容で、とても読みやすい。平安時代から徳川時代までの流れがサーと復習できるのもよい。