2019年10月15日初版発行
帯封「左遷された道鏡に囁かれた邪な誘い」
裏表紙「阿倍女帝こと孝謙天皇に寵愛され、太政大臣禅師や法王などの高職に就いていた頃の面影は、もはやない。女帝の死後すぐに下野国薬師寺別当に任ぜられた道鏡は、空ばかり見て過ごしていた。そこに行信と名乗る老僧が近づき『憎い相手はおらぬか―』と囁く。そう問いかけられたとき、道鏡の心に浮かんだ顔は…。奈良時代、治世の安寧を願った人々の生き様を描いた珠玉の短篇集。(解説:内藤剛)」
「凱風の島」は、遣唐使として唐に渡り帰国する人として藤原刷雄(よしお)や阿倍仲麻呂、吉備真備(まびき)らを、また唐から鑑真を連れて帰る遣唐大使・藤原清河を描く。特に高僧鑑真は離国を玄宗皇帝から許されていなかったが鑑真がそれを無視して自ら渡航を決断し、連れて帰るしか選択肢がないものの、日本と唐との間で起きるであろう紛擾を気にしてあたふたする中間管理職的な清河が滑稽に描かれている。
「南海の桃李」は、帰朝した吉備真備は、唐と日本を繋ぐために大宰大弐として南島に石碑を建てようとしたが、石碑を建てるだけでは島人達の生活が豊かになるわけでもないことに気付き、かつて留学生仲間だった高橋連牛養のように、木碑を一島一島立て、桃李の苗を植えて島を豊かにすることこそに意味がある、そういう趣旨の記録が法令集延喜式にあることが描かれている。
「夏芒の庭」は、大学寮で儒教を学び、純粋な志を持ちながら、対立する親族同士の対立・権力闘争の果てに大人たちの理不尽な対応を目にした純粋な学友が失望して自害する、そうした友の姿を見て、自分たちは大人たちのように汚れることなく立派な官人になることを決意した若き佐伯上信(うわしな)らの姿が描かれている。
「梅一枝」は、大宰府から呼び戻され太政官の一人として仕えていた石上宅嗣(やかつぐ)が帰宅すると、門人の一人賀陽(かや)豊年が一人の男を連れてきた、その男とは宅嗣の従姉の志斐弖(しひて)の子息で、父は亡き首帝で隠し子として海上女王に身を寄せていたという、つまりは藤原仲麻呂を粛清した阿倍女帝(孝謙天皇)の異母弟で、久世王と名乗った。そんな男を匿えば大変な事に巻き込まれると恐れをなした宅嗣は、久世王には石上の名は出さないで欲しいと言うと、その瞬間、床下にいた不審者にそのやり取りを聞かれ、その者を追いかけていったが、何と式部卿藤原真楯の屋敷に逃げ込んでしまった。真楯はその男の話を先に聞いていたが、宅嗣の門人豊年は、その男こそ久世王と名乗り長年宅嗣に世話になっていた張本人であると切り返すと、男の方が引き摺られて去っていった。真楯は門人の話を聞き、いい門人を持っておると誉めそやす。
「秋萩の散る」は、かつて阿部女帝に寵愛され、法王などの高職に就いた道鏡が、女帝の死後、すぐに下野国薬師寺に追いやられた。女帝が風邪にかかり看病禅師として新参した道鏡の祈祷のお陰で熱が下がったと思いこんだ女性は身近に道鏡を置いて離さずにいたのは、この国のために御仏の慈悲に満ちた国にせんとしたからであり、そのことを誰よりも知っていた己がたとえ僅かにでも女帝を恨んだことを悔やんだ道鏡の内面を描いている。