宇佐美魚目の百句 万象への存問 武藤紀子

2021年4月1日初版発行

 

表紙裏「魚目は若い頃、橋本鷄二や四、五人の仲間と共に鎌倉の虚子の家に句を見てもらいに通っていた。(略)それぞれが墨書してきた自分の句を、恐る恐る虚子にさし出す。すると虚子はおもむろにその句稿を持って書斎に入ってゆき、選句をしてくれるのだった。やがて、虚子から選句をしてもらった句稿を返されるのだが、誰もその場でそれを開けて見るものはいない。うやうやしく押しいただいて、少し虚子と雑談してからおいとまするのであった。帰ることになって虚子の家の門を出るやいなや、皆いっせいに中身を見る。良いと思われた句には赤丸や赤いちょぼの印がついている。魚目がどきどきして開けてみると、何も印がついていない。勇気をふり絞って家に戻って「あのう」と言って句稿を虚子に見せると、虚子は「ああ、そうだったな」と言って句稿を持って再び書斎に引き返された。ああ良かったと喜んで待っていたところが、戻って来た句稿には、何の印もついていなくて、ただ最後に「虚子」と句稿を見たというしるしの名前が書き足されていたという。結局一句もとってもらえなかったのだ。その時の帰りの汽車では、どんな気持ちだっただろう。

 

巻末の「美を求めて」によると、魚目の句には男の強さがある、直線の剛直さがある、いさぎよさがあり、しなやかさと艶がある、一本芯が通っており、詩がある。(魚目にとり)虚子は特別な人だった、結婚式の仲人になってもらい、子供の名付け親にもなってもらった、魚目は存問の作家である、俳句の師としての魚目は私が選んだ、(魚目に強く惹かれたのは)冬の厳しさ、冷たさ、純粋さ、透明さを持った美なのである、とのこと。

 

悼むとは湯気立てて松見ることか  『秋収冬蔵』昭和44年

夏花摘あるけばうごく山の音    『秋収冬蔵』昭和45年

日々水に映りていろのきたる柿   『秋収冬蔵』昭和47年

最澄の瞑目つづく冬の畦      『秋収冬蔵』昭和49年

雪ごもり虚子道鏡を習ひしや    『天地存問』昭和51年

負真綿からだからだと母の声    『紅爐抄』昭和55年

死はかねてうしろにされば桃李   『紅爐抄』昭和57年

山の蛇棒の如くに飛ぶといふ    『草心』昭和61年

美しきものに火種と蝶の息     『薪水』平成元年

松風に気性はげしき蟻出でし    『薪水』平成6年

青空や三河の国の餅の音      『薪水』平成6年

今ゆきし霰よ虚子の華奢な手よ   『松下童子』平成9年

 

先の解説がなんとなく分かるような気がする。。。