芝不器男の百句 洗練された時間表現 村上鞆彦

2018年8月25日初版発行

 

表紙裏「本書を執筆するにあたって、私にはぜひとも訪ねておきたいところがあった。不器男が生まれ育った土地である。愛媛県松野町。松山市から車で、途中高速道路を使って二時間ほど。そこは四万十川の支流である広見川中流域に位置し、周りを山に囲まれた静かな町だった。訪ねたのは八月の盆過ぎ、太陽は盛夏の勢いそのままにかっと照りつけていた。不器男の生家は、現在記念館として保存され、数多くの資料が展示されている。それらをひと通り見てから、広見川の河原へ行ってみた。水の流れに手を浸すと、心地良い冷たさで、汗がすっと引いていくようだった。河原に屈んだまま、流れてゆく水の光を見つめ、近くの山の木々を揺らして風が渡ってゆくのを眺めた。これが不器男の山河なのだと思った。」

 

永き日のにはとり柵を越えにけり        大正十五年

白藤や揺りやみしかばうすみどり        昭和三年

蜻蛉(とんぼう)やいま起つ賤(しず)も夕日中 昭和二年

落栗やなにかと言へばすぐ谺(こだま)     昭和二年

秋の日をとづる碧玉数しらず          昭和四年

日昃(ひかげ)るやねむる山より街道へ     大正十五年

 

巻末「芝不器男論」によると、白藤の句の魅力として①声調の美しさ②ものを見る目の確かさ③洗練された時間表現があげられる、とし、総じて不器男俳句の特色を語る上で重要になってくる、とある。確かにそういわれて他の句を詠んでみると、なるほど、と思う句がたくさんある。わずか26歳で早世した不器男、創作期間も約5年と短い。しかし流行に右顧左眄せず、専一に自然に浸り込み、その短い命の時間を句作に打ち込んだ不器男。表現における古典主義と青春性あふれる抒情とが融和したその俳句は、これからも多くの人に読み継がれてゆくに違いない。とあった。

確かにそう思う。