三橋敏雄の百句 少数派としての矜持 池田澄子

2022年12月1日初版発行

 

表紙裏「■『俳句研究』の『特集・三橋敏雄』の編集後記に高柳重信は、『三橋敏雄という名が俳壇に聞こえはじめたのは、いわば新興俳句運動の全盛期から晩期にかけてであるが、そのとき彼は、まだ十代の少年であった』『三橋敏雄の復活に俳壇が気づきはじめるのは、もはや昭和三十年の終りから四十年代にかけてであった』『まさに二度にわたって、きわめて出色の新人として登場したことになる』と書き、『伝統とか前衛とかいう単純な色分けの通用しない世界』と記している。■敏雄の俳句との関わり方は、よい趣味、というものではなかった。よい趣味として程よい俳句に出会っていたなら深入りはしなかった筈。職場の先から誘われて出会ったそれは、芸術の神の采配によってか、風流韻事には遠かった。それは俳句の世界の中心にあるめでたいものではなかった。■後日、敏雄は、僕は少数派というところに思いがゆく人間、と言っていらした。まさに俳句界の少数派との出会い、そして共感であった。」

 

私の好き句をいくつか記す。

 

絶滅のかの狼を連れ歩く 『眞神』

 

待遠しき俳句は我や四季の国  『長濤』

 

春二番三番四番五番馬鹿 『疊の上』

 

あやまちはくりかへします秋の暮 『疊の上』

 

夏永しヒロシマナガサキやられし日 『疊の上』

 

対人類原子爆弾爆心地 『しだらでん』 

 

人類憐愍令あれ天の川 『しだらでん』