2013年12月9日発行
帯封「表現されているままに読む 漱石を知らなくても読める 生涯俳句を作る楽しみを手放さなかった漱石の東京在住時代(前期・後期)の100句を読む。」
あとがきによると、前期は一校時代、子規宛の手紙に初めて書きとめた句を始まりとして松山に赴任するまで、後期は英国滞在を経て帰国、小説家として生涯を終えるまでの句を収録している。
帰ろふと泣かずに笑へ時鳥
解説によると、句意は君の病状は初期で大したことはない、故郷に帰らずともきちんと療養さえすれば治るのだからという親友へと諭しと励まし。
寝てくらす人もありけり夢の世に
解説によると、漱石は当時、眼病のトラホームに罹っていたため、失明しかねない恐ろしさがあったような気がする、あっけらかんとしているが、存外、失明への恐怖が渦巻いていたのではないだろうか、と。
腸に春滴るや粥の味
解説によると、病み上がりならば、やっと喉を通って行ったお粥に、物を食べられる喜びをひしひしと感じ取っていることだろう、と。
火を消せば涼しき星や窓に入る
良寛にまりをつかせん日永かな
解説によると、漱石は良寛ファンの筆頭。漱石は良寛の素人が書いたような素朴な文字に夢中になった。自分も良寛のように手毬をついて子供たちと遊びたいと思ったのだ、と。
女の子十になりけり梅の花
解説によると、中央公論編集者瀧田樗蔭の娘、静江に送られたもの、とこと。無事に春を迎えたお祝いも込められている、とのこと。
耳の穴掘って貰ひぬ春の風
饅頭に礼拝すれば晴れて秋
解説には、どうして饅頭に礼拝したら「晴れて秋」になるのだろうか、とある。
でも、面白みがあると私は思う。