2021年6月1日初版発行
表紙裏「赤尾兜子の俳句は異貌である。百句鑑賞執筆のためにあらためて兜子俳句を精読して、かねてから思っていたその認識は、いっそう強いものとなった。昭和30年代、赤尾兜子の名が俳壇で知られ始める時期の俳句は、第一句集『蛇』と第二句集『虚像』に収められているが、このころの兜子の作品は伝統派の俳人はもちろん、同志であった前衛派の俳人の誰とも似ていない。前衛俳句とレッテルを貼ろうとしても、兜子の作品はそこから大きくはみ出している。それは兜子俳句としか名づけようがない異様なオリジナリティに満ちている。この本の百句鑑賞では、あえて、編年体をとらず、まず、その異貌が感受できる兜子秀句三十三句を第一部として置き、第二部に『稚年記』から『玄玄』までの作品から六十七句を編年順に並べて鑑賞した。」
巻末の異貌の多面体によると、兜子は二物衝撃という具象と具象をぶつけあって比喩を生み出す従来の俳句的技法を一歩進めて、第一の比喩と第二の比喩を衝突させて、第三の暗喩のイメージを生み出す方法を用いた、とする。
散髪後霧ごしに立つ不意の墓 『歳華集』
帰り花鶴折るうちに折り殺す 『歳華集』
火を焚くや狼のほろびし話など 『玄玄』
ゆめ二つ全く違ふ蕗のたう 『玄玄』 没後に発見 掉尾の一句
刻一刻時計寒々明日を指す 『雅年記』
学問に霧一粒の曇る悲しさ 『蛇』
轢死者の直前葡萄透きとおる 『虚像』
子の鼻血プールに交り水となる 『歳華集』
金歯入れ帰る急坂風死せり 『玄玄』
横に出てなほおそろしやひがんばな『玄玄』
心中にひらく雪景また鬼景 『玄玄』
確かに、独特な世界観を持っておられる方の俳句であることは素人ながら感じます。