臼田亞浪の百句 寂しさの旅人 西池冬扇

2022年12月24日初版発行

 

表紙裏「■臼田亞浪という俳人の特質をひとことで表わすとすると『寂しさの旅人』ということになるでしょうか。明治の終わりから大正期にかけては短歌や詩の世界では、若山牧水前田夕暮、山村募鳥などが活躍しましたが、いずれも自然や旅を愛し、薄淡い光と寂しさの中に人間のなんたるかを見つめようとしていた詩人たちです。臼田亞浪はそのようなトーンの作品を作った俳人の典型だと思います。■その『寂しさ』は明治という一つの時代が終わり、次の社会への希望というより不安が増大したときのいわば時代が生んだ精神風土のようなものではないでしょうか。その時代の多くの詩人の魂が敏感に感じた焦燥感が、諦念を秘めた『寂しさ』という形で表れたものではないでしょうか。現代もまた大きな時代の曲がり角にあると思います。過渡期という時代を過ごした一人の俳人の生き様を俳句から感じていただければと思います。」

 

以下は私が好きな句です。

 

雪の中声あげゆくは我子かな  1923年(大正12年

 

月風のさせば炭火のぽと燃ゆる 1923年(大正12年

 

漕ぎ出でて遠き心や虫の声 1925年(大正14年) 伊良湖の江比間海岸での作

 

ぽっくりと蒲団に入りて寝たりけり 1927年(昭和2年

 

雪虫のゆらゆら肩を越えにけり 1934年(昭和9年)

 

妻死んで虫の音しげくなりし夜ぞ 1946年(昭和21年)

 

 

巻末の「臼田亞浪小論『まこと』の系譜」は、臼田亞浪という詩人を理解するのに大変勉強になる。3000人を超える門下生を育てた俳句のレジェンドだというのはこの解説で知った。

第1の時代は、亞浪の俳句結社である石楠社を創立するまで、第2の時代は『亞浪句鈔』の時代、「まこと」の旗を高く掲げる、第3の時代は『旅人』の時代、第4の時代は『白道』の時代、第5の時代はその後の時代に分ける。臼田亞浪の目指した俳句は虚子流の客観写生俳句と碧梧桐・大須賀乙字流の新傾向俳句でもない第3の方向だった。