2012年6月10日発行
はじめに スキャンダル
「『芭蕉は大山師だ』といったのは芥川龍之介である。」から始まり、次に「芥川以前に芭蕉を批判した人は正岡子規である」、「芭蕉は宗教と化した」、「時流にのる天才的直感がある」、「『奥のほそ道』は、芭蕉によっては本来の仕事ではない。本業は俳諧師である」、「芭蕉が評価する弟子は、つぎからつぎへと離反していく。ということは、芭蕉は危険な人物であったのだ。弟子は、自分こそが第一実力者だと思っているから、芭蕉に反旗をひるがえすことは、むしろ当然の行為となる」
とあった。度肝を抜かれる書き出しである。
目次
1「古池や…」とはなにか
2「芭蕉」という俳号
3「作意」を消せるか
4魔法の目玉
5「不易」か「流行」か
6『猿蓑』の怪
7超簡訳『猿蓑』歌仙
8獄中俳人・凡兆
9「次男」の文芸
10閉関の説 スランプと死神
1 蛙は池の上から音をたてて飛び込まない。池の端より這うように水中に入っていく。蛙が池に飛び込むのは、蛇などの天敵や人間に襲われそうになったときだけである。絶対絶命のときだけ、ジャンプして水中に飛ぶのである。それも音をたてずにするりと水中にもぐりこむ。ということは、芭蕉が聴いた音は幻聴ではなかろうか。あるいは聴きもしなかったのに、観念として「飛び込む音」を創作してしまった。俳句で世界的に有名な「古池や…」は、写生ではなく、フィクションであったことに気がついた。・・・事実よりも虚構が先行した。それを芥川は「芭蕉は大山師である」と直観したのである。
5 芭蕉が不易流行を説いたのは、『奥のほそ道』の旅が終ったころである。「不易」は永遠にして変らぬ原理。「流行」は刻々と変化していくことである。芭蕉の本心は、不易(善)にはなく、流行(悪)にある。・・「不易」はつけたしである。
9 芭蕉はスキャンダルをかかえた人であった。江戸では甥の桃印の生活の面倒をなにかと見ざるを得ない。のみならず、妾のお貞(寿貞尼)と、その連れ子の治郎兵衛、まさ、おふうという五人の扶養者をかかえている。世間にむけてはひとり暮らしとなっているけれども、桃印と妾と三人の子の生活を見なければならない。・・芭蕉は杜国と伊勢湾を渡り、百日間の蜜月の旅をした。杜国は女にしたいほどの美貌の若衆であった。芭蕉の衆道は俳句愛好家のあいだでは禁句となっており、こういった性向が俳聖芭蕉のイメージをそこなうとの配慮がある。しかしこの時代にあっては衆道は恥じる行為ではなく、むしろ精神的きずなを高める関係でもあった。将軍綱吉には百五十の衆道若衆がいた。
10 (芭蕉が嫌った)点取俳諧は、現在の雑誌や新聞の俳句懸賞募集につながる。現在は俳句に代わって小説が文芸の主流となり、小説コンクールには懸賞金がつけられるようになった。これは点取俳諧の流れをくんでいる。
芭蕉の知らない一面を知った思いである。少々驚いた。