桂信子の百句 揺るがぬ自我 吉田茂子

2022年5月26日初版発行

 

表紙裏「信子は大正三年生れ、本名・丹羽信子、生誕地は大阪市東区八軒家(現在の京橋三丁目)である。三年後に東区船越町に転居する。ここでの幼児体験や、成年に至るまでの暮しが信子の人格や、作品世界を形成する礎となったのは言うまでもない。なかでも四歳の時に当時流行していたスペイン風邪にかかり、以後虚弱体質で病気がちに過ごしたこと、また家族の中心である父親から受けた教育が、信子の精神育成に大きく影響したようだ。病弱のせいで小学校も休むことが多かったらしく必然的に読書が習慣になった。一歳年上の兄の本箱の本を片っ端から読むなど少女時代の読書量が文学的素養を培ったと思われる。家族の暮しは家産で成り立っていたようで、職業を持たず常に家に居た父親は信子を子供扱いせずに接した。書画骨董の講釈をしたり、囲碁の相手をさせたり、美術館や菊花展にも連れて行ったと言う。小学生の娘に新聞の小説を読んで聞かせるなどしたそうだから、成育期の早くから成熟した精神を備えていたと推測する。」

 

巻末の「桂信子の動かぬ世界」によると、女学校2年の時に日野草城の句に出会い、草城を師として俳句にのめり込む、昭和21年に山口誓子の句集に観劇し即物具象を試みる、草城逝去後に新しい出発が始まり、現代語表記の作品が増え、平素から「平明で奥深い句」を口にする、昭和60年以降も創作を精力的に続け、最後の句集『草影』は第45回毎日芸術賞を受賞した。65年余にわたる作句活動は「物事の底にあって動かぬものを詠むべき」という信念に基づき時流に乗らずおもねらず揺るがぬ自我を貫き通した、とある。

 

梅林を額明るく過ぎゆけり    『月光抄』昭和14年

秋風の窓ひとつづつしめゆけり  『月光抄』昭和21年作

皺のばす朝顔の種つつむ紙    『新緑』昭和47年作

元旦の大空を陽のゆきわたり   『草樹』昭和57年作

たてよこに富士伸びてゐる夏野かな『樹影』平成元年作

死神も疫病神も涼みけり     『花影』平成7年作

一心に生きてさくらのころとなる 『草影』平成11年作

往生に「大」をつけたき今朝の春 『草苑』平成16年1月号発表作

元日や力を出さず声立てず    『草苑』平成16年2月号発表作

 

解説にあるとおりの作品ばかりだった。とてもわかりやすい句が多い。私には、まだ「奥の深さ」を味わうことなど叶わないのだが、それでもうっすらと分かるような気もする。