2021年4月20日初版発行
表紙裏「鬼房は蛇笏賞の受賞の際、自らを『翼を欠いた鳥』に喩え、『永遠の飛翔願望』を抱くと語った。『地を這うばかりの哀しい存在』であり、『土俗に愛憎を傾けすぎる』とも。それは生きることへのしたたかな強さそのものであった。痩身の中には、土俗的なエネルギーが常に湧き立っていた。成熟の誘いに抗するように、必死に『蒼樹』、あるいは修羅にならんとした。と同時に、幼くして故郷を出たという『流民』意識は強く、詩想は遥かな彼方を遠望するのが常であった。死後刊行された句集『幻夢』には、詩想への思いを隠さず、さらに高みをめざす最後の鬼房の姿がある。明日に春を待ち妄想の中で、永遠なる命を目指すように、大いなる死(生)へと最後の力をふりしぼる。そして、現実のさまざまな枷から解き放され、次なる世へと向かうのだ。」
私の気に入った作品をいくつか列記する。
生きて食ふ一粒の飯美しき 『名もなき日夜』昭和26年
月光とあり死ぬならばシベリヤで 『地楡』昭和50年
生き死にの死の側ともす落蛍 『地楡』昭和50年
父の日の青空はあり山椒の木 『地楡』昭和50年
南無枯葉一枚の空暮れ残り 『朝の日』昭和56年
麦秋のある日ふつと少年消ゆ 『何處へ』昭和59年
一書家の死へのりうつる桜かな 『半跏坐』平成元年
おろかゆゑおのれを愛す桐の花 『瀬頭』平成4年
不死男忌や時計ばかりがコチコチと『愛痛きまで』平成13年刊
巻末の「詩魂高翔-成熟に抗して」には、鬼房の第一句集(重量感のある言葉とともに粘着性を帯びた特徴ある世界)や第二句集の特徴(骨太の骨格を組み立てて見せた)が記され、句集『鳥食』は自虐的世界が極まる、句集『何処へ』『半跏坐』をまとめ、死後刊行された『玄夢』では詩想への思い、更に高みを目指す最後の鬼房の姿がある、とある。
少し私には難しい詩人である。