昭和62年3月13日1版1刷
①伊勢生まれ
②わが村
③わが集落
④わが家
⑤小・中学校
⑥第八高等学校
⑦米騒動のころ
⑧東大農学部入学前後
⑨大学生活
⑩大学に残る
⑪米国留学
⑬米国生活
⑭米国を去る
⑮ボン大学へ留学
⑯シュムペーター先生
⑰東大教授
⑱経済学部の兼任教授
⑲吉田内閣
⑳ワンマン総理とタヌキ
㉑フィリピンとの縁
㉓移動大使
㉔アジア経済研究所
㉕農業基本問題調査会
㉖結び―老馬とカラス
・明治32年2月2日伊勢生まれ。名古屋の第八高等学校を卒業後、東京大学農学部に進み、大学院に入学し、ウィスコンシン大学に留学。ワシントンに移り農林省の農業経済局で勉強し、残り数カ月をシカゴのノースウエスタン大学土地経済及び公共事業研究所で学ぶ。1年半ぶりに帰国するが、再び文部省の留学生としてアジア・ヨ―ロッパ外遊に回った。帰国後、東大に戻り、国民経済の中に農業を置いた研究生活を開始し、農民の現実の分析、農業をめぐる価値機構を中心に据えた経済分析、日本の農業についての景気問題の研究、農業を営む主体・農業発展を招来する主体の確定、農村生活・生活程度・人口・農民離村ことに農家婦人・村や集落の性格等社会学的問題にも手を付けることにした。昭和14年から東大経済学部の兼任教授となり植民政策の講座を担当。戦後、農業の社会科学研究所の創設を受け持ち、これが現在も続く農業総合研究所である。創立10年足らずで退き、移動大使を2か月で諸国を巡り、東大定年退職の頃にアジア経済研究所を引き受け、6年後所長を退き会長としてアジ研に勤めた。農業基本問題調査会、農政審議会を経験するが、地価問題を議したことがないことの責任から任期途中で辞した。自らを凝視するのが大切である。(昭和58年5月6日死去)