しらべよう!47都道府県 郷土の発展につくした先人 ③医療 監修/北俊夫

2021年3月初版第1刷

 

センジンファイル095 北海道 高橋房次造(1882~1960)

 アイヌの村にやってきた たったひとりの医師

 

センジンファイル096 福島 野口英世(1876~1928) 

 黄熱病とたたかった細菌学者

 

センジンファイル097 福井 杉田玄白(1733~1817)

 日本初の人体解剖学書『解体新書』を出版

 

センジンファイル098 山梨 杉浦健造(1866~1933) 

原因不明の病「地方病」の撲滅にとりくむ 犯人は寄生虫だった

 

センジンファイル099 大阪 緒方洪庵(1810~1863)

 蘭学塾「適塾」を開き 医療と教育につくした

 

センジンファイル100 和歌山 花岡青洲(1760~1835) 

 世界初!全身麻酔手術に成功

 

センジンファイル101 徳島 長井長義(1845~1929)

 ぜんそくの薬となるエフェドリンを発見。明治政府の第1回海外留学生に合格し、ベルリン大学で化学を学び、帰国後、東京大学教授をつとめ、衛生局(現厚労省)の東京試験所所長となり、漢方薬を西洋医学と結びつけ、エフェドリンをぜん息に効く薬として開発。日本初の薬学博士となる。今の徳島大学薬学部を作る働きかけも。今の日本女子大学で女性の化学者を育て、農学博士・丹下ウメをはじめ、多くの女性を育てる。

 

センジンファイル102 長崎 楠本イネ(1827~1903)

 女性医師の道を切り開く。父シーボルトの娘。石井宋謙から産医学を、大村益次郎からオランダ語を学び、医師ポンぺから解剖学を、医師ボード院から眼科を学ぶ。1865年に宇和島で医院を開業。10年後の1875年に国家資格の医術開業試験が始まるが既に開業していたので試験は受けなかった。

 

センジンファイル103 熊本 北里柴三郎(1853~1931) 

 世界初!感染症の治療法を開発した“近代医学の父” 18歳で熊本医学校(今の熊本大学医学部)に入学後、東京医学校(東京大学医学部)に進学し、同学部卒業後、衛生局に就職し、33歳の時に細菌学を研究するためベルリン大学に留学。結核菌やコレラ菌を発見した細菌学者コッホに弟子入りし、1889年、世界で初めて破傷風菌だけを取り出すことに成功。世界初の血清療法を開発し、ベーリングとともにジフテリアの抗血清も開発。帰国後、私立伝染病研究所(後の国立伝染病研究所)を作り、香港でペスト菌を発見。1914年、北里研究所創立。港区白金に「北里研究所 北里柴三郎記念室」がある。

 

センジンファイル104 宮崎 高木兼寛(1849~1920)

 脚気の原因究明に挑む。当時は脚気病菌がいると信じる学者が多い中、栄養に原因があることを実験結果により証明したが、認められなかった。海軍カレーを考案し、後の東京慈恵会医科大学となる成医会講習所を設立。日本で初めての看護学校「看護婦教育所」も設立。

 後に脚気の原因は鈴木梅太郎等の研究によりビタミンB1不足であることが判明。

 

 徳島の長井長義、長崎の楠本イネ(国家試験を初めて女性で合格したのが荻野吟子)、宮崎の高木兼寛のことは知らなかったので、こちらも勉強になりました。