黒田如水 吉川英治

2013年10月1日発行

 

もともと昭和18年12月朝日新聞社より刊行。

裏表紙には「『天下を獲れる男』と豊臣秀吉に評された天才軍師・黒田官兵衛(如水)。播州御着城城主・小寺政職と家老・黒田官兵衛は、織田信長と盟を結ぶため、岐阜へ赴き、秀吉の知遇を得る。織田家重臣荒木村重が、反織田の旗頭・毛利氏に呼応して叛旗を翻した。伊丹城に籠城する村重を翻意させるため、官兵衛は、単身、敵地に向かうが・・・。天下無双の軍師・黒田官兵衛の半生を描く歴史小説。」と。久しぶりに吉川歴史小説を読んだ。勿論、過去の史書・資料をもとにストーリーを組み立てているのだと思うが、本当にタイムスリップして黒田如水を始めとする歴史上の人物が眼前に現れたような錯覚を覚えるほど、吉川氏の筆力は凄いの一言に尽きる。

最大の山場は、信長のために小寺政職荒木村重に共に忠誠を誓う密書だと思って荒木村重の下に単身乗り込んだ官兵衛だったが、実は小寺政職が自分では官兵衛を討ち取ることができないので荒木村重に官兵衛の始末を託す密書だった。そうとは知らず、荒木村重の獄に繋がれ、1年間牢獄生活を余儀なくされる。ところが官兵衛が反織田に寝返ったと勘違いした信長が官兵衛の父や人質として預かっていた官兵衛の嫡子松千代の首を持ってこいと、松千代を預かっていた竹中半兵衛に命じる。半兵衛は秀吉とともに官兵衛が寝返るはずはないことを確信していたため、ちょうど同じ年頃に亡くなった別の子の首を松千代と偽って信長に差し出す。

さて、長年にわたって苦心した官兵衛の家臣らによる救出作戦がようやく実り、今にも死んでしまいそうなやせ細らえた官兵衛を何とか救出する。官兵衛の姿を見た秀吉は信義を貫き通した官兵衛の変わり果てた姿に痛く感動し、逆に人を見誤った信長は慚愧の念に絶えずそれでも天下のために過去を振り返らず官兵衛の前に姿を現し率直に謝る。その下に半兵衛が主君の命に背いて松千代を生きながらえさせていたことを死んでお詫びするといえば、官兵衛が松千代に腹を切るよう命じ、信長がそれには及ばぬと静止して、曹操の故事を通して自らの過ちは過ちとして自らを深く責めていることを告げる。

登場人物のいずれものキャラが立ちまくっていて本当に恰好いい。官兵衛が救出された直後の心境描写は俊逸だ。「自己の意志だけを以てどうにもならない長い獄中生活は、彼にある生き方を習性づけていたかも知れない。怒濤の中にあっては怒濤にまかせて天命に従っていることである。しかも断じて虚無という魔ものに引き込まれることなく、どんな絶望を見せつけられようと心は生命の火を見失わず、希望をかけていることだった。いやそうしてその生命と希望をも越えて、いよいよという最期にいたるもこれに乱されない澄明なものにまで、天地と心身をひとつのものに観じる修行でもあった」。

獄中を経験した者でしか語れない、研ぎ澄まされた究極的な何かを表現するということは極めて困難なことだと思うが、それを連想しながら生きているからこそ表現できるのだと思うと、吉川英治の生き方とは凄まじいと思う。