私の履歴書 杉山金太郎(豊年製油会長) 日本経済新聞社 経済人2

昭和55年6月5日1版1刷 昭和58年10月30日1版11刷

 

①小百姓の長男

②船店から米国商館へ

日清戦争に軍艦輸入

④貿易会社をおこす

⑤恐慌で全私財投げ出す

豊年製油を引き受く

⑦原料買い付けに陣頭指揮

⑧杉山個人の「豊年」へ

⑨戦後の株式公開

⑩奉仕のために

⑪大豆を生かす苦心

⑫生涯の理想を実現

⑬“コチンと固い”ところも

⑭出勤が唯一の楽しみ

 

明治8年和歌山生まれ。生家は小百姓で小学校時代に徳修学校に転校し、尋常中学誠之館に編入した後退学して大阪に出て市立大阪商業学校(現在の大阪市立大学商学部の前身)に入学。卒業後に広海二三郎氏の店の手伝いに行った。間もなく米国貿易会社に就職し、輸出担当になった。日本の綿糸輸出の先鞭をつけた。伊東米次郎君から誘われて郵船会社に移ることになったが、米国貿易会社に復帰し輸出部支配人に昇格した。中外貿易会社を創立し専務として会社経営に当たった。関東大震災後、豊年製油の経営を引き受けた。戦後、豊年製油の20万株のうち15万株を売却し財産税を支払った。昭和17年に財団法人杉山報公会をつくり、毎年30人くらいに学資を支給した。同時期に杉山産業科学研究所を財団法人として立ち上げた。合板製造の電気応用で特許を得て財団法人日本合板技術研究所を創立した。癌研究会の理事になった。(昭和42年豊年製油相談役 昭和48年3月10日死去)