山階芳麿(山階鳥類研究所理事長) 私の履歴書 文化人20

昭和62年3月13日1版1刷

 

①祖父・山階宮

②父・菊麿王

③誕生―赤ん坊の時は健康優良

④誕生祝いに、ねだって鳥の標本

学習院初等科

⑥中等科・幼年学校

臣籍降下して山階姓

⑧陸軍時代

⑨結婚―見合いして「文句なし」

⑩鳥類標本館を建設

⑪妻も同行して北へ南へ

ミクロネシアでの新種のメジロ

⑬採集旅行余話

⑭標本館財団法人に

分類学に疑問

⑯雑種不妊症を解明

⑰染色体形の研究

⑱戦後の生活

⑲鳥類保護

⑳人工授精で鶏を増産

ヘルシンキの会議へ

㉒ICBP東京総会へ

㉓米国へ欧州へ

㉔妻の死

㉕鳥類保護視察

㉖各種審議会

㉗デラクール賞を受賞

 

・明治33年7月5日東京麹町生まれ。祖父は外国事務総督という外務大臣に当たる役を務め、母の妹は大正天皇の節子皇后。母は私の生まれた翌年に亡くなる。父の再婚相手は今の皇后陛下のお母さんの姉にあたる。天皇陛下は生母を通じ、皇后陛下は義母を通じ、ともにいとこにあたる。8年間陸軍に勤務したが身体的に続けることが難しく軍服を脱いで鳥類研究一筋に生きることになる。東大理学部動物学科の選科に入学し、終了後、山科家鳥類標本館が完成し(山梨鳥類研究所の前身)、10年に渡る日本及びその周辺における鳥類や生物の調査により約3万1千点の鳥の標本、2千点弱の鳥卵の標本、650点の鳥巣の標本、千百点余の獣類標本、135箱の昆虫標本等を集めた。私が新種記載した鳥類は2属2種40亜種、哺乳類は4種にわたる。戦後昭和22年に日本鳥類保護連盟が創立され翌年会長となり、5月10日から1週間「バード・ウィーク」と定めた。東京で国際鳥類保護会議総会が昭和35年に開催され、前後して何度も国際会議に出席した。鳥類が憩う樹木の保護活動も重要である。国際自然保護連合では日本が一日も早くワシントン条約を批准して欲しい、世界野生動物保護財団では一日も早く日本が正式の支部を作って貰いたい。渡り鳥条約が締結されたのは昭和44年。国内では鳥獣審議会、自然環境保全審議会、自然公園審議会、文化財保護専門審議会や民間の日本鳥学会、日本鳥類保護連盟、日本自然保護協会や日本染色体学会や複数の国際団体にも関わる。鳥類学者のノーベル賞と呼ばれるデラクール賞を昭和52年に受賞した時は大変名誉に思った。現在まで12年間に4人しか受賞していない。海外に比較するとまだ遅れている日本の現状は先進諸国より4,50年遅れている。文化財保護法の現代的改正が課題として残っている。