2021年2月1日1版1刷
帯封「真の国際人は、こうして生まれた!中国から命からがらの帰国、小説家を目指した高校時代、日本の経済発展に尽力した外務省時代、そしてユネスコ事務局長にアジアから初めて(その後も現れていない)選出され、組織改革と文化の多様性保護に邁進―国際機関で活躍する日本人が少なくなったいま、そのロールモデルを学ぶ。日経連載『あすへの話題』『こころの玉手箱』も収録。」
目次
私の履歴書(2020年8月)
第1章 いま思うこと――国際社会における日本の存在価値低下
第2章 幼少時代と学生時代
第3章 外務省時代
あすへの話題(2001年1月)
こころの玉手箱(2010年8月)
・現在グローバルな国際機関でトップを務める日本人はゼロ。以前は2~3人いたのと様変わりである。WHOの中嶋宏事務局長、緒方貞子国連難民高等弁務官、内海善雄国際電気通信連合事務総局長、天野之弥IAEA事務局長、関水康司国際海事機関事務局長など。私の経験が国際人育成の一助になればと思う。
・1937年9月29日東京生まれ。中学は学習院、高校は日比谷高校に進み、当初は小説家になりたくで7作寄稿した。東大3年で外交官試験に合格した。同級生の平井宜雄君は5か国語の授業を受けていたので感心した。中退して外務省に入り、ハヴァフォード大学で2年経済学を専攻した。ワシントン大使館で2か月見習いした後、ガーナ大使館に三等書記官として赴任した。帰国後、経済局に配属され、中近東課で3年、総務参事官室で2年勤めた後、パリOECD代表部勤務を命じられた。アメリカ局北米一課の首席事務官、ワシントンの在米大使館、経済協力局(開発協力室長、開発協力課長、政策課長、参事官)を経て、大臣官房の総務課長、香港総領事、経済協力局長、北米局長、外務審議官、駐仏大使を経て40年に及ぶ外交官人生に別れを告げた。
・99年ユネスコ事務局長に就任した。事務局長選挙に向けて応援体制が構築され選挙戦を制した。ユネスコ改革に取り組み2期10年務めた。重要課題の一つは脱退したアメリカの復帰に向けた取り組みと2001年に総会で採択された文化の多様性に関する世界宣言だった。世界遺産、無形文化遺産の文化に加え教育分野にも力を割いた。ESDが発展してSDGsへと引き継がれた。事務局長退任後、「明日の京都」で10年余り会長を務めた。