昭和55年7月2日1版1刷 昭和59年2月23日1版11刷
①静岡に生まれ、東京で育つ
②朝鮮全道剣道大会で優勝
③母代わりの祖母の死
④東京毛織へ入社
⑤関東大震災のころ
⑥27歳で日本陶管の取締役
⑦“家を建てるより大志を”
⑧品川白煉瓦の再建
⑨恩人伊藤社長の急死
⑩株の安いのでは二番のボロ会社
⑪相撲さじきと自動車を持つ
⑫2・26事件で家を締め出さる
⑬日米開戦―暗黒時代
⑭経済同友会発足
⑮労組万能時代に不幸なストも
⑯政治への考え方
⑰スキーは折り紙付き
⑱五百歳野球軍の投手
・明治31年2月14日静岡県生まれ。小学校卒業後、京城にいい中学ができるからそちらに入れと父から手紙が来て朝鮮に渡った。大正7年に東京高商に入学し、一ツ橋卒業後、東京毛織に入った。調査課、販売課を経験した後、誤解を受けてクビになる。日本陶管に移り、今度は人の言うことをよく聞く側に回った。27歳で取締役に抜擢された。品川白煉瓦の支配人も兼務し多忙を極めた。伊藤社長が急死し、取締役に選任された。生活が安定し、田舎に預けた娘も引き取り、相撲の桟敷も持った。昭和18年に日本耐火煉瓦統制株式会社ができ、社長になった。戦後、電力再編成に伴い、九電力会社ができ、東京電力の取締役になった。27年には国家公安委員長を任じられた。昭和33年、東電に汚職事件が起き、社長に就任。政治と経済は全く別個ではないが、混同してはならない。会社や欧米の政治献金を禁じる欧米の法律はもっともである。(昭和36年より41年まで東京電力会長をつとめた。51年8月27日死去)