終わらざる夏〈上〉 浅田次郎

2010年7月10日第1刷発行

 

裏表紙「1945年、夏。すでに沖縄は陥落し、本土決戦用の大規模な動員計画に、国民は疲弊していた。東京の出版社に勤める翻訳書編集者・片岡直哉は、45歳の兵役年限直前に赤紙を受け取る。何も分からぬまま、同じく召集された医師の菊池、歴戦の軍曹・鬼熊と、片岡は北の地へと向かった。―終戦直後の“知られざる戦い”を舞台に『戦争』の理不尽を描く歴史的大作、待望の文庫化。第64回毎日出版文化賞受賞作。」

 

昭和20年に入り、大本営の編制科動員班は千島列島の前縁にある占守島にいる精鋭部隊に英語が達者な兵員を配置する決定をした。占守島は千島列島の北端、その先にはカムチャッカ半島がある。盛岡の第三課動員班長の佐々木曹長東京外国語大学を出て東京で出版社に就職した片岡直哉への召集令状を実家に届けた。召集令状を届ける役目を負った役人の苦衷が詳細に描かれている。大本営レベルでは軍隊構成の為の数字に過ぎないものが具体的な個人名に変換されて召集令状の作成担当者もそれを届ける者も鬼だと思われるのを承知で役目を遂行せねばならなかったのである(序章)。

東京神保町の千秋社出版に勤務し翻訳を担当していた片岡直哉は、岩手県の実家から召集令状が届いたとの報せを受けた。45歳11か月の片岡はあとひと月もすれば、兵役年限の四十六歳を迎える。片岡には女子高等師範(現お茶の水女子大)を卒業後、妻久子と信州に疎開している4年生の息子の譲がいた。妻久子の実弟は南洋で玉砕し、実弟を守ることができず、夫の出征にも何もできず、新宿の街かどで千人針に立つ。片岡は弘前の聯隊に向かった。富永は4度目の応召だった。かつて勲章を授与された経験を持つ。彼は非常に素行の悪い乱暴者であったが、唯一の身寄りの貧しい母が飢えないよう周囲の者が約束してくれた。医学生の菊池は岩手医専卒で帝大医学部の学生だが、家庭の事情を斟酌して嘘の診断書を作成したこともある若者だった(第一章)。

米軍が本土上陸を決行するのは時間の問題だった。占守島には関東軍の精鋭戦車部隊が配備されていたが、輸送艦の不足により配置換えすら出来なくなっていた。途中で北部軍補充隊の指揮下に入りし、片岡は富永熊男と医学生の菊池忠彦と一緒に根室から千二百キロ離れた最前線の占守島に向かった(第二章)。