昭和58年10月5日1版1刷 昭和60年3月20日1版3刷
①河岸で友達に物語る
②父が軟書を売り払う
③さながら梁山泊の“盛中”
④啄木も組したストライキ
⑤一高時代
⑥報知新聞へ
⑦記者生活三十年
⑧ガラッ八新聞記者
・日本一のいじめられっ子で、毎日泣いて暮らした。無口で優等にも級長にもならず、かけっこの賞品を取ったこともない。ところが読書力だけは持っていた。父の蔵書をかなり読んだ。盛岡中学ではストライキを経験し、父の勧めで一高の法科に入った。同じ組に芦田均がいたし、石坂泰三もいたはず。下の級に谷崎潤一郎がいたはず。同室の後の三宅正太郎とは組んずほぐれつした。江戸の研究に没頭し、硬軟両方面の江戸を見尽くした。父の死を合図に、新聞社に入ろうと決め、報知新聞に入社した。当時新聞は儲かり高給取りだった。銭形平次捕物控は新聞社の中の部長と外交のやり取りである。新聞記者を書いているんじゃないかとよく言われた。新聞記者でありながら、いつの間にか文士になった。文芸春秋社のオール読物で戦争中に1年休んだ以外は書きに書いた。(昭和38年4月14日死去)