昭和58年10月5日1版1刷 昭和60年3月20日1版3刷
①「八犬伝」に夢中になる
②中学のころ
③早稲田のころ
④早稲田出版部から「読売」へ
⑤明治の劇評家たち
⑥新進作家時代
⑦大金もうけも恋もしない
⑧世界一周
・明治12年生まれ。小学時代に兵隊の真似をさせられたのを機縁に軍国主義憎悪を心に植え付けられた。日本の歴史の中で一番エライのは「馬琴」と書いたのは八犬伝を通読したからだった。岡山の中学時代には徳富蘇峰主宰の「国民之友」や民友社本を購読した。大学は早稲田の専修英語科へ入った。英語塾や英語夜学校へ通いキリスト教会へ通ったが、その教えから造作なく離れた。早稲田出版部に奉職したが1年で読売新聞美術文学の記者となり、小説執筆を促され、処女作が「新小説」に掲載された。7年程で新聞記者を辞め執筆業を続けた。私の一生の間は日清戦争、日露戦争、第一次世界大戦、太平洋戦争あり、関東大震災もあった。小説だけで六百編書いたそうだ。30枚程度の短編を月1編書けば50年で600編となる。私は少年時代から老年の今日まで「人生とは何ぞや」という謎を解かんと心掛けてきた。50歳で初めて洋行し、60歳で再び出掛けた。70歳で三度の洋行をすべく計画していたが、戦争のために不可能になった。(昭和37年10月28日死去)