昭和55年6月5日1版1刷 昭和58年10月30日1版11刷
①学校近くの野原に放火
②浜松一中―早稲田大学
③中止早慶戦の応援団幹部
④大学を出て-
⑤金原明善翁のこと
⑥安田善次郎翁に会う
⑦地方銀行時代
⑧ノンプロの草分け
⑨前代未聞の芸者スト
⑩日銀政策委員になる
⑪つねに青年の世話を
⑫妻よ、ありがとう
・明治19年5月26日遠州浜松生まれ。やんちゃなガキ大将で学業は振るわなかったが、当時は入学試験がなかったので早稲田大学に入った。早慶戦に不穏を感じた警視庁は決勝戦を中止させ、明治38年から大正14年春まで早慶野球戦は中断された。大学卒業後、金原明善翁のカバン持ちをした。翁は私財をなげうって天竜川の堤防修理や難事業に取り組んだ。第百銀行に入った後、父の経営する浜松銀行に入り、金原翁の孫娘と結婚した。当時の銀行は政友会か憲政会に属していたが、政党色を持つべきではないというのが私の信念だった。西遠銀行と合併した後、合併に合併を重ねて静岡銀行となり、副頭取、頭取となった。地方銀行協会を作り、時の日銀総裁に地銀の大同団結を相談した。金原翁の事業の一つに静岡県勧善会があり、私は会の理事長をしている。夜の宴会には一切出ない。多年にわたり家で2人か3人の学生の面倒を見ている。育英事業と養老事業にも努力している。(昭和24年から33年まで日銀政策委員。41年12月6日死去)