父子鷹《下》 子母澤寛

昭和61年4月10日発行

 

麟太郎は、いかがわしい者たちと付き合いのある小吉の元で育てられてはならないと彦四郎が案じたために精一郎に預けられた。小吉は、旗本として、御願塚の村方五百石を支配する岡野の代官陣屋に、庄屋をはじめ農民を呼び出し、主家興亡の入用金を調達するよう言った。ところがすでに758両の用立てをしており、これ以上は受けられないと百姓の茂左衛門が答えた。小吉はしばらく村方の様子を見、家の戸障子を見て回ると、同行の堀田は戸毎に張り替えてある様子から、五百両は用立てが可能だと判断した。小吉は村方の者の前で木剣稽古を見せ、葵の御紋服で寺の本堂を歩いて威厳を示し、更に入用金が調達できないとなれば、皆の前で切腹するとの大芝居を演じて、550両を調達するのに成功した。この金で大川丈助から付懸けで孫一郎が立て替えさせた339両の支払を済ませてこの問題を解決した。孫一郎の小吉への御礼は水引がかかった木綿一反だけだった。自儘に関所を越えたのが不埒だとされ、小吉は他行留(謹慎)となった。小吉に世話になった者達が見舞金を持参した。小吉の屋敷が道具市のようになった。岡野孫一郎が隠居に斬られそうになった騒ぎを聞きつけた小吉が二人の間に仲裁に入った。聞けば、孫一郎が木綿一反の礼しか小吉にしなかったと聞いた隠居が恥知らずと言って孫一郎を斬り捨てるところだった。この時、隠居は中風を発症して寝込んだ。お信が女の子を生んだ。お順と名付けられた。他行止が免じられた。お取り潰しの話が出たために精一郎は小吉に隠居を進めて麟太郎に家督を譲るよう話をした。彦四郎から付けられた隠居名は夢酔となった。麟太郎の剣の師匠は島田虎之助となった。隠居は小吉に事前に告げたとおり自害した。孫一郎は女と一緒で行方が知れない。孫一郎とそっくりの男を立てて小吉は葬儀を進めた。麟太郎は蘭学の永井青崖の許に通うようになった。人相見の都甲が麟太郎を見て、騒乱の世に遭わば国家の大事に任ずるという世に二つとない相貌だと言われた。以前売卜者の関川讃岐から言われたとのまったく同じ文句だった。