私の履歴書 大屋晋三(帝人社長) 日本経済新聞社 経済人3

昭和55年6月5日1版1刷 昭和58年10月30日1版11刷

 

①ぶどう酒の産湯使って

②恋文を父に見つかる

③片田舎で青雲の志燃やす

④歯科医の書生になる

⑤叔父の蔵書をむさぼり読む

⑥貧乏のどん底

⑦代用教員時代

⑧内気な恋のハンター

⑨上京―一ツ橋目指して

⑩年上の情勢と結ばる

⑪「実用のためでない学問」を

後藤新平の人柄に心酔

⑬遊び好きとカンカチ男

⑭卒業―ノートを焼き払って

鈴木商店に就職

⑯ヨロメキ時代

⑰終生の事業へ

 

明治27年7月5日群馬県生まれ。14の年までは末期に貧乏したものの、小学校教員の子供として不自由を味わうことなく幸福な生活を送ったが、前橋中学を書生として住み込むと雑用に追い使われた。歯科医の助手を1年やったが、不器用極まりない助手だった。従兄の家を出て叔父の家に移り、その翌年には実家に戻った。元旦には食う米さえ一粒も無くなるほど貧困を極めた。スマイルスの「自助論」に感化を受け、暗誦した。代用教員を務める傍ら受験勉強をし上京後に官吏を目指して一ツ橋に入学した。4年間に教わったのは福田徳三博士の「本当に偉大な実業家、商人になるためには、非実用的な学問、非実用的に見えるアブストラクトな思索の方が大切」のひと言。大学卒業後、鈴木商店に入社し、樟脳部に入り、樟脳と薄荷の取引に当った。海外の仕事をした後、32歳で帝国人絹の人となり、化学繊維工業への第一歩を切った。(昭和22年参議院議員。吉田内閣で商工相、運輸相をつとめる。31年帝人社長に復帰。55年3月9日死去)