私の履歴書 石橋正二郎(ブリヂストンタイヤ社長) 日本経済新聞社

昭和55年6月5日1版1刷 昭和58年10月30日1版11刷

 

①小学校時代は模範生

②商売第一歩

③均一たびの売り出し

④地下たびを発見

ブリヂストンのいわれ

⑥東京現物団に加入

終戦まで

⑧子供たちの結婚

⑨戦後のストライキ

⑩嵐はようしゃなく

⑪二つの美術館

⑫新三品の暴落で

⑬亡妻を憶う

 

明治22年2月25日久留米出身。尋常小学校は主席で卒業。久留米商業学校卒業後、神戸高商へ入りたかったが、家業の仕立屋を手伝った。値段がバラバラなたびを均一値段で2割安く売ったので大当たりし、工場を建て職工を多数雇った。日本足袋株式会社(後の日本ゴム)を立ち上げた。ゴム製の地下たびの生産量は年3千万足以上となった。ゴムぐつを作り輸出した。昭和6年ブリヂストンをつくった。自動車タイヤが将来非常に大きくなると予測した。ブリヂストンは外国名で国賊と言われ日本ゴムに変えた。相撲見物で鳩山一郎さんと知り合い、互いに行き来するうちに、娘を息子の嫁にくれと言われ、反対したが、結局結婚することになった。ブリヂストンの社屋は東京海上に続く戦後2番目の建物。絵は好きでコレクションは40位から始めた。ブリヂストン美術館を考えついた。久留米大学誕生後、理事長を務め、援助するために石橋財団を設けた。(昭和38年ブリヂストンタイヤ会長に就任。51年9月11日死去)