1998年5月15日第1刷発行 2005年3月24日第15刷発行
裏表紙「山霊がつかわした青年、長身清眉の介推は、棒術の名手となって人喰い虎を倒した。やがて、晋の公子重耳に仕え、人知れず、恐るべき暗殺者から守り抜くが、重耳の覇業が完成したとき、忽然と姿を消した。名君の心の悪虎を倒すために…。後に、中国全土の人々から敬愛され神となった介子推を描く、傑作長編。」
友人の石承とその父・石遠が山に行くと言ったきり帰ってこなかった。介推は、以前、病に効く湧き水が出る場所に連れて行ってもらったことがあり、そこへ2人を探しに行った。途中で、虎に襲われ、背中に深手の傷を負い生死をさまよった。介推の母が病に効く湧き水を汲みに行ってくれたおかげで、一命を取り留めた。介推は、不思議な老人と出会った。二度目の出会いの時に、この老人から山中で霊木を探し虎を殺せと言われた。介推は霊木を見つけて削って棒とした。介推は虎を棒で殺すことに成功した。これで人が虎に襲われることはなくなった。しかし介推はこれを吹聴する気はなかった。「世間のほめそやすおこないは、一格下の美事といってよい。」介推はそう思うようになった。晋の公子の一人重耳は逃げていた。石承は山里を出て仕官し、公子夷吾に仕えていた。介推は重耳の臣下の先軫と賈陀に出会った。重耳に仕える2人を見て、重耳は優れているに違いないと介推は考えた。介推は茲英を連れて重耳のもとへ向かうことを決めた。母は介推に「栄達に目がくらむと、足下も昏くなり、人の道をふみはずします。…人からなにかを得ようとするのであれば、その人にまず与えなければなりません。救ってもらいたいなら、まず救ってあげることです。人がみていようとみていまいと、そなたの行為は、天が覧、山霊が瞰ておられる」と語った。介推は先軫から仕えるように言われた咎犯(きゅうはん、狐偃)の下についた。籍沙、特象、泊盈の3人と共同生活が始まり、やがて、介推は重耳直属の臣となった。重耳は閹楚という晋の暗殺者に狙われ、介推が閹楚の存在を感じて度々事なきを得、閻楚の暗殺は奏功しなかった。重耳の斉行きの旅の中で、何者かが敵方に通じていることが疑われた。誰が敵と通じているのか中々判明しなかったが、どうやらかつての友人石承が内通者だった。衛の国に入ったが、衛君は重耳の主従に水も食糧も与えぬという冷酷な仕打ちをした。重耳は怒りを露わにして衛を去った。飢える一団の中で介推は重耳のために食を求め続けた。目的の斉に到着すると、斉では重耳は厚遇されたが、臣下に反間がいた。斉の桓公は死病の中にいて、次の君主の補佐を重耳にしてもらいたいと願った。重耳はこれを承諾し、斉への永住を決意したが、臣下が斉の国から重耳を酩酊させ寝ている間に連れ出した。主従は再び放浪の旅へと出た。東で立ち、南で羽ばたき、西へ飛ぶ。介推は晋に戻り、母に再会した。重耳の下で暗殺者の閻楚が今度は重耳を護衛する側に回った。介推は母に「下はその罪を義とし、上はその姦を賞し、上下あい蒙く」と言い、重耳から離れて山に帰り身を隠した。母と慈英も消えた。棒だけが残った。人々は緜上の山を介子推の山という意味で介山と呼んだ。